宇都宮黙霖と現代
昨年の9月10日に、呉市専徳寺にて、宇都宮黙霖没後125年供養祭が営まれました。「ろう勤王僧宇都宮黙霖の生涯」を 呉ろうあ協会が出版した縁で、呉ろうあ協会会長松岡が出席し
ました。2024年に黙霖は生誕200年を迎えます。何かイベント をしてはどうかと提案し、その場で「宇都宮黙霖生誕200年記 念事業実行委員会」が組織されました。26年前の没後100年供養祭の時は、黙霖の縁者や地元の人達でイベントが行われ、ろ
う団体は蚊帳の外でした。今回、ろう団体も一緒に生誕200年を祝える事を嬉しく思います。 初代内閣総理大臣の伊藤博文が来広した時に、黙霖を「先生」と呼び、周囲の人たちが驚いたという逸話が残っています。黙霖の業績の素晴らしさが分かる人からは、敬意を受けましたが、いわれのない差別を受けることもありました。
知切光歳(ちぎりこうさい)著の「宇都宮黙霖」(昭和17年6月初版)には、実際の黙霖を知る古老たちの思い出が書かれています。それには晩年の黙霖は耳が聞こえないことから、「近隣の子ども達から
寧ろ(むしろ)狂人(きょうじん)(原文のママ)扱いにされ、棒きれなど持った子ども達に後ろにつか れ」、本当に後ろから棒で頭を叩かれたこともあった事が記されています(知切光歳著の「宇都宮黙霖」313ページ)。耳の聞こえない黙霖が当時どのような扱いを受けたかが伺えます。
現代ではどうでしょうか。地元の中学校では、校庭に「もくりんさん像」が建てられ、郷里の偉人と して教材化され、授業が行われています。しかし、根強い差別が残っていると感じる出来事もありました。生誕200年記念事業の一環として、2023年度中に黙霖の胸像を住蓮寺に建立する事が決まり、10月29日に除幕式を迎えます。胸像は当初、別の場所に建てる予定でした。しかし、黙霖がろうであり、障害者であることから胸像の建立に反対があり、場所の変更を余儀なくされました。ろう者である黙霖は、没して100年以上になるのにいわれのない差別を受けることになりました。
これは現代の私たちに通じる問題です。アインシュタインは、「過去から学び、今日のために生き、 未来に対して希望をもつ。大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである」と言いました。黙霖の問題は過去の出来事ではなく、現在に通じる問題として取り組んでいく事が黙霖への一番の供養になるのではないかと思います。
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