‘山岳救助隊員’よりちゃん

よりちゃんは今まで人命救助をした事が何度もあります。その幾つかを紹介します。

よりちゃん、人命救助で感謝状を授与される!の巻

  よりちゃんの山岳救助 その二!の巻


よりちゃん、人命救助で感謝状を授与される!の巻

雪彦山(兵庫県)



1998年11月24日

夫婦で2週間にわたって救急法の講習(赤十字社)を受けた私たちは、「さあ山だ!山だ!」と以前から計画していた播州の名峰雪彦山(兵庫)に連休を利用して出かけた。『姫路岳友同人会』の本には雪彦山の今昔、初登時、ルート開拓期の感動など記されていて、中でも当時の夢前川をさかのぼって岩峰に向かう徒歩の行程には胸踊る雰囲気が感じられ心ひかれた。私たちは初めての岩場であるので雪彦山(地蔵岳・不行岳・大天井・洞ケ岳)の概念をとらえることを目的に3級(〜4級)程度のルートを選んで取り付いた。初日は地蔵岳正面壁、2日目は不行岳東北壁、3日目は地蔵岳東稜を登る。最近では地蔵岳の他は登る人も少ないらしい。地蔵岳では快適なクライミングが楽しめたが不行岳は脆い感じを受けた。
2日目は忘れる事が出来ない一日となった。不行岳の東北壁に取り付いた私たちは、ポカポカ陽気の1日であったにも拘らず、一日中、陽が当たらない寒い思いで荒れたルートを登った。頂上迄8ピッチ。さらに大天井頂上に着いた頃には、夕暗が迫ってきていた。頂上には看板で『下山道』が指示されている。ということは「登りに使われてる道は下山に適さない」ということか…。少しでも多くの登山道の様子を知っておきたいため、あえて登りに使われている道を下ることにする。下り始めて急なことを知る。途中、いつもの様にヘッドランプ使用となる。出雲岩のあたりで妙な落石の音を聞き「まさか!」と思いながら声をかけると、「助けてくれ…」という声、近寄ると、滑落による頭部損傷で顔面に流血した人がいた。流血と痛みに動揺している様子。救急法の講習で勉強した色々なことが頭に浮かんだ。まず安全なできるだけ水平な場所に移動させ、バンダナで止血し、保温。カッパ、シュラフカバー、ツェルト、ザックで体を包んだ。真は連絡に、私は現場で傷病者を看た。色々不安がる傷病者に、「精神的な安静が大事」という言葉を思い出しながら接した。発見から2時間半程で警察官と消防署員十数名による懸命な救助・搬送活動が始まった。傷病者はその後の経過もよく、ほっとした事件だった。
話によると、先週も遭難事故があったばかりで、骨折により動けなくなったその方は凍死されたとの事。こちらも単独登山者で、初冬のこの時期、下山時刻が遅れたために事故が起き、発見されずに悲しい結果となった。警察の方は急峻な山である雪彦山が、ハイキングコースとして紹介されていることに疑問を持っていらっしゃった。日中、岩峰を這うようにして登る登山者を見て「危ないなあ」と感じたが、やはり、事故が多いらしい。阪神高速等が復興してから増々増えているそうだ。
雪彦山でいろいろ大事な事を学ばせてもらいました。今後も事故のないよう心して山行を続けていかなければいけないと思いました。


よりちゃんの山岳救助 その二!の巻

比叡山(宮崎県)



2003年05月04日

事故発生
15:20、“サマーホリデイ83”1ピッチ終了点でトップの真がセカンドのより子をビレイしていると、“ニードル左岩稜”上部1ピッチ目の核心部のクラック(Y)をリードしていた別パーティーのトップが「あっ」と声を出した。何気なく右上のその声のした方を見上げると、スーと(中間支点に衝撃がかかっているようには見えなかった)トップがブッシュバンドに落ちるのが見えた注1。「何遍も見たくは無い光景だな。以前見た光景の方が圧倒的に迫力があったな。」と呑気に思いつつ、ブッシュがクッションになったのか、衝撃音もせず、そのまま引っ掛かっているようなので、「大したことはあるまい」と思ったのが第一印象。
岩場から「登山道」の搬送
我々は取り敢えずセカンドのより子を終了点迄登らせ、ロープ2本での懸垂下降の準備をする。やはりうろたえていたのであろう、いつもは長いほうの黄色のロープを捨て縄に掛けるのだが、短いほうの緑色のロープを捨て縄に掛け、そのまま直さずにしてしまう(尤もそれで間違いではないが、いつもとは違うセッティングをしてしまうと、回収時に混乱するおそれがある)。懸垂下降し易い位置にいたより子を先に、ブッシュバンドにうまい具合にトラヴァース気味に下れるかどうか分からないので、取り敢えず真下に下らせる。より子は10m程下った所でうまくブッシュバンドに移る。しかし生憎確実な支点がいい場所には無いようで、場所が左過ぎるが、取り敢えず‘Camelot’1個でセルフビレイを取る(この時点ではじめて墜落者がAであることを我々は認識した)。真は、より子にロープが回収できることを確認させたうえで、ボルトセットを"ロープウェイ"でより子に流し、そのままアンカーを作らせ始め注2、自分も黄色のロープが捨て縄に掛かるようにずらし直し(これでいつも通りのセッティング)、より子のいる場所に向かって懸垂下降。下の事故パーティーのビレイヤーにロープを仮固定をするように伝え、直ぐにボルト打ちを代わり、より子にはロープの回収をやらせる。Aはといえば「意識」はあるもののぐったりしており、右足があさっての方向を向き、痛みを訴える。以前にも似たような光景を見たことを思い出し、直ぐに引き上げてやりたいのだが、何分我々のセルフビレイも覚束ないのでボルト打ちに専念する。漸く1本ボルトを打ち終え、先に噛ませた‘Camelot’とで取り敢えずアンカーとして、2人のセルフビレイを補強。しかし余りにも2個の支点が離れすぎており、我々が行動するにも、直ぐ下のブッシュに引っ掛かっているAを引き上げるにも不都合なので、更にもう1本ボルトを打ち足す。左に離れた‘Camelot’を回収し、ボルト2本によるアンカーが出来た時点で本格的な救助活動開始。応援にルート通りに登って来たBと3個体がかりで取り敢えずAをロックバンドに引き上げ、アンカーにダブルロープの内の1本のロープでセルフビレイをとり、もう1本のロープは下のビレイヤーに回収させる。Aの右足の固定はB氏、そして更に応援にルート通りに登って来たCに任せ、真は、自分たちのロープをアンカーから下に垂らし、Aを降ろすために、トップダウンでルート工作を始める。直径10cm程のブッシュを何本も切り落とし、下降路を整備すると同時に、45mロープ1本の折り返しで下の「登山道」迄届くことを確認。この最中、ロックバンドからの拳大の落石がガツンと真の頭を直撃注3!「バカたれ!ワシを殺すきか!」Aを抱えてロワーダウンするとアンカーには2個体分(×2)の荷重が掛かるため、より子に更にもう1本ボルトを打ち足すように伝える。ボルト3本によるアンカーが出来、且つAの右足の固定も出来たので、いよいよAを降ろす番である。Bが運んできた10.0mmφ60mのロープでAを抱えた真を、下から8環+1ターンで、トップロープのロワーダウンの要領で降ろす段取り注4をし、60mロープの末端を付けたより子を先に懸垂下降用にセッティングした自分たちのロープで降ろす。いざAを降ろす段になってアンカーの不備が判明注5。折角ボルトを3本も打っているのに、その3本にシュリングを通しただけではないか!これでは1番上のボルトにばかり荷重が掛かってしまう。しかしAを抱えた状態で今更再セッティングに時間と労力を裂くのも…と考え直し、このまま下る。途中何度かブッシュ及び切り株に引っ掛かったものの無事「登山道」迄降ろす。
「登山道」から安定したテラスへ搬送
真の指示の下、より子が中心となってロープ担架を作り、5m程下の安定したテラスへAを搬送する。この間、真はアッセンダーを使い、再度ブッシュバンド迄上がり、ロープ等の後片付けを行う。
安定したテラスから登山道を経て救急車へ搬送
消防・警察到着後、救急車へ搬送開始。安定したテラスから取り敢えず、ロープを使って、ロープ担架のまま登山道まで引き上げ、登山道に出た所で消防の担架に移し替える。後はただ単に搬送。真、より子は救急車を見送った後、後片付け。
考察
致命傷になるようなミスはしなかった、という点においては「合格点」であるといえるだろう。しかし直後、また日が経ってからに考えてみると、「ああすればよかった、こうすればよかった」という点は幾つもある。まあプロの山岳救助隊員でもないし、アマチュアとしては良くやったといっていいであろう。細かいミスをしないようにするには場数を踏むことが必要だが、現実には唯のアマチュアが今回のような場面に出くわす事は滅多にあるものではない。一生の内1回あるかないかだろう。

注1 真のいた場所(“サマーホリデイ83”1ピッチ終了点)からの角度では直接ブッシュバンドに落ちたように見えたが、実際にはロックバンドに右大腿部を激突し骨折、その後ブッシュに引っ掛かったそうである。
注2 後から知ったことではあるが、A、B両パーティー共、ボルトセットは携行していなかったらしい。
注3 Aの右足の固定をしていた誰かが他のロープ操作をしている時に落石を起こしたようだが、みんな知らん顔。真は益々カーッとなる。
注4 2人分(×2)の荷重がかかるため、まず上部のアンカーでロープの折り返しによって制動をかけ、下部のアンカーで8環で制動をかけ更にロープを1ターンさせることにより制動をかけた。
注5 後でより子がセッティングしたものと判明。酷いものである。