まこと君危機一髪!

小心者のまこと君も、危険な目に遭っています。その幾つかを紹介します。

まこと君、新雪に隠れたアイスバーンでスッテンコロリン!

あわや右手親指骨折でモデラー生命を絶たれる!の巻

まこと君、あわや帰らぬ人となる!の巻

まこと君、ヒドゥン・クレヴァスに落ちる!の巻


まこと君、新雪に隠れたアイスバーンでスッテンコロリン!
あわや右手親指骨折でモデラー生命を絶たれる!の巻

七面山 1,982m 山伏 2,013.7m



2006年03月04〜06日

04日
下部温泉から角瀬(320m)迄タクシーで入り、神通坊(320m)より登山開始。この北参道は、日蓮宗の信者が(特に夏季には)よく利用するようで、登山道はしっかりしており、簡単な休憩所も随所にある。七丁目休憩所(530m)を過ぎると若干積雪が現れる。トレイルも無く自分だけの世界に没入する。雨畑分岐(1,450m)辺りから新雪に隠れたアイスバーンでよくスリップし始めるがアイゼンを装着する程ではない(後から考えると既にこの時点で「事故」の予兆はあった)。敬慎院(1,720m)及び積雪で埋まった一の「池」(1,710m)を経てナナイタガレの大崩壊地を巻くように登っている(1,860m)時(16:35)に「事故」発生!何でも無い斜面(だからアイゼンは装着していなかった)の新雪に隠れたアイスバーンで派手にスリップしてスッテンコロリン!ピッケルは持っていた為、右手親指を変に捻り激痛が走る!一瞬、骨折したのではないか、と思う程であった(後日捻挫と診断される)。暫く(と言っても10min程度)休憩し、遅まきながらアイゼン装着、気を取り直して再出発、七面山(1,982.4m)に辿り着く。多少樹林は伐採されて入るが、期待していた程の展望は無い。トレイルは此処で終わり以後再び自分だけの世界に没入する。一旦コル(1,970m)に下り、七面山(1,982.4m)より7m程高い直ぐ近くのピーク(1,989m)(何故か無名峰)迄往復し、喜望峰(1,980m)についた時点で17:45。ボチボチ暗くなり始めたので本気で幕営地を探す事にする。少し下った風の当たらない比較的平坦なコル(1,955m)で幕営。右手親指の痛みの為、整地、テントの設営、食事、片付、等々何をするにも不便、且つ携帯電話が圏外の為、より子にヤツアタリ出来ず欲求不満、更には痛みの為寝付かれなかった。以後数ヶ月間、鈍痛が続き、ファスナーの上げ下げ、ホック及びボタンの掛け外し、箸・ペン等の扱い等々、凡そ右手を使う作業全てが苦痛。
05日
04:30起床、06:00出発。充分明るくヘッドランプは不要。アイゼンは「必携」。トレイルの無い1,900m前後の主稜線を快適に進む。八紘嶺(1,917.9m)に着くと安部峠(1,420m)若しくは梅ヶ島温泉(860m)方面よりトレイルが有るが、山伏(2,13.7m)方面にはトレイルは無くほっとする。再び1,900m前後の主稜線を快適に進む。大谷嶺(1,999.7m)からピーク(1,905m)にかけての登山道は南斜面の大崩壊地(大谷崩)を避ける様に北の急斜面に付いているが、所々その登山道迄崩壊が進んでいる。新窪乗越(1,855m)迄来ると大谷崩から山伏(2,13.7m)方面に向かうトレイルに合流(以降新田までトレイル有り)、自分だけの世界から引き離される。15:35山伏(2,013.7m)に到着。富士山(3,776m)には笠雲が懸かっているし、天気予報でも天気は下り坂という事なので一気に今日中に新田迄下ってしまうか、しかし明日の午前中迄は天気は持ちそうだし(希望的観測)、疲れてもおり、山伏小屋(1,860m)に一泊するか、これからの行動を暫く考える。一気に下ってしまうのは体力的にも「時間」的にも苦しいし、少し下ると積雪は無くなるだろう。今晩及び明日の朝の食事に必要な「水」の事を考えると、この山域は初めてな事もあり、確実に沢水が確保できる登山口(935m)迄は下らなければならないだろう。それでも体力的にも「時間」的にも苦しい。且つ天候が早めに崩れた場合、この辺りでは雪だろうが登山口(935m)辺りでは雨だろう。結局山伏小屋(1,860m)に一泊する事にし、極めて明瞭なトレイルを下り、山伏小屋(1,860m)へ入る。小屋は1人「貸切」。寒いので小屋(1,860m)の中で幕営。一晩中風で戸、窓等がガタガタする。
06日(月)
04:05に起床、05:05に出発準備完了、山伏小屋(1,860m)から出てみると、なんと吹雪!こんな筈では無かったのだが...。尤も登山口(935m)辺りで朝起きたら雨でテントがずぶ濡れよりはまだマシか。幸いトレイルは消えてはいないが未だ真っ暗な為、15分程待機した後、アイゼン・ヘッドランプ装着して小屋(1,860m)を出発。ヨモギ峠(1,445m)で大休止し、アイゼン団子で歩き難いのでアイゼンを外す。暫く下ると積雪も消え、大岩(1,120m)辺りから雪が霙に変わる。わさび田が現れ、ヒトの生活感が感じられ始める。いい加減疲れて休憩したいのだが霙の中それも出来ない。登山口(935m)に着く頃には霙から雨に変わり、益々休憩出来なくなる。河岸段丘の段丘面に拓けた新田の集落に入り、鳥居があったので直ぐ其処に有る「筈」の雨の当たらない本殿で休憩しよう其方に向かう。鳥居からは見えなかったものの、直ぐ其処だとばかり思っていたが、延々と石段が続き、標高差100m(!)程も登っる羽目になった(本日最大のアルバイト!)。大休止後、バスに乗車することに備えを考えパッキングのやり直しを済ませ、延々と続く石段を下り、もう10min程歩くと立派な屋根付(!)のバス停に到着。運良く向かいの商店が宅急便を扱っており、重たいザックを発送、文字通り「肩の荷が下り」山行終了。


まこと君、あわや帰らぬ人となる!の巻

三倉岳 701.8m

2005年10月26日

何時もの様に歩荷訓練を兼ねた技術研修のため三倉岳に入山。何時もの様に通い慣れたAコースを、7合目の「基準点」を目指して登り始める。何時もの様に30kgwを超える荷物は重たいが、それでも盛夏時に比べ10月も下旬ともなれば随分涼しくなり、幾分は歩き易い。だがこの日に限って、4合目の小屋を過ぎ、後もう少しで見晴らし岩、という時に何時もとは違う事が起こった。段差50cm程の石段を登って(歩いて)いる時に突然バチ!という音と「同時」に左足の脹脛を棍棒でぶん殴られたような衝撃!次の「瞬間」には激痛が走り其の場に座り込んでしまった。痛みと、今まで経験の無かった事態にどうしていいか分からず、暫く(といっても実際には1〜2min位だろう)はただうずくまるばかり。骨、アキレス腱は大丈夫のようだが、左足先をほんの少し引き起こしてみただけで(左脹脛をほんの少し伸ばしただけで)直ぐに激痛が「走る」。何時もの様に携帯電話は持っていないし、「平日」(水曜日)の為他にハイカーはいないし、自力で下るより他はない。何時もの様に持っている鋸(アルパインクライマーには鋸は必需品!)で杖を作り、荷物は後日回収することとし藪の中デポ、車の鍵のみ持って下り始める。曲げると痛い左足先は伸ばしたまま、バレイのトウシューのような格好で、左手で杖を突き、右手でブッシュに掴まりながらよろよろと「退却」。10m程歩いては休憩、を繰り返しながら、漸く辿り着いた炊事棟で大休止。取り敢えず水道水で左足を冷やす。此れで幾分楽になり、もう一分張りして駐車場に「生還」。「愛車」の"CAROL"はオートマティックで左足を使わずに済むのが不幸中の幸い。左足がズキズキ痛みはするが何とか自分で運転出来る。時間がまだ早かった為、そのまま行きつけの整形外科に直行。下腿三頭筋の断裂と診断され、「1ヶ月は大人しくしておくように」との宣告を受けた。
考察 
今迄「中高年」の骨折、転・滑落等は全く人事だと思っていたが、まさか自分の身に降りかかってこようとは...。痛みよりも、約1ヶ月まともに歩けなかったことよりも、より子に「もう年なんじゃないんね。」「何時までも若い頃と同じトレイニングが出来るわけ無いじゃない。」「あんたの体はもう耐用年数をとっくに過ぎとるんじゃないんね。」等々ボロクソに言われたことの方がよっぽどこたえた。


まこと君、ヒドゥン・クレヴァスに落ちる!の巻

谷川岳 1,977m 

2003年03月29〜31日

29日
カール?の天神平(1,315m)迄一気にロープウェイで上がる。登山者はリフトには乗れない為、此処から登山開始。ゲレンデを横切り天神尾根に取り付く。極めて明瞭なトレイルが有り、ラッセル無し。コル(1,405m)で高度計を補正しようとして時計のバッテリー切れを確認。いやな予感がする。以後(というよりこの山行中ずっと)不便を感じる。熊穴沢の頭(1,465m)を越えたコル(1,441m)でアイゼン装着(本来若干急な熊穴沢の頭で装着すべきだった)、快調に進む。標高1,500m以上になると霧の為、視界が極端に利かなくなる。高気圧が来ている筈なのだが…ワンドに導かれ、「あっという間に」(13:40)肩の小屋(1,910m)に着く(もっともワンドが無ければ行動不能、下の樹林帯で幕営していただろう)。これから先の岩稜は、たとえワンドが在ったとしても流石に視界が無いと進めないので、取り敢えず今日の行動は打ち切る。とはいえ余りにも時間が早かったのでトマノ耳(1,963m)を往復してお茶を濁す。
30日
肩の小屋(1,910m)の他の宿泊者につられて04:30に起床、朝食を済ませて出発準備をする(05:20)が、霧の為、視界不良、待機。高気圧が来ている筈なのだが…1h以上待った末(06:45)漸く晴れ上がり小屋を後にする。トマノ耳(1,963m)、オキノ耳(1,977m)と岩稜を、東側は断崖になっている為西側をトラバース気味に快調に進み、神社のピーク(1,975m)で大休止。ノゾキのコル(1,845m)を経て頂上部はなだらかな一ノ倉岳(1,974.2m)に至る。クレヴァスが有るが積雪は安定しているようだ。目の前に広がるなだらかな稜線を、コル(1,920m)を過ぎ、あと100m程で今回の最終目標の茂倉岳(1,977.9m)という時に、パン!という破裂音と共に雪面に亀裂が走り、気が付くとにヒドゥン・クレヴァス転落していた!全層雪崩の兆候なのか、1.5m程下の地面に直接落ちる。左膝に痛みを覚えるが歩けない程ではない。気を取り直して這い上がり、再び茂倉岳に向かおうと数m進む(こうやってツマラナイ事故を起こすのだろう。もう既に起こしたか。)と、またパン!という破裂音と共に雪面に亀裂が走る。気持ち悪いが、甘い誘惑に誘われてもう一度茂倉岳に向かおうと、更に雪面を注視しながら数m進むと、またパン!という破裂音と共に雪面に亀裂が走る。雪面を注視していても何処にヒドゥン・クレヴァスが有るのか分からないのが怖い。辺りが静かなだけ余計に不気味に響く。遂に気持ち悪さを超えた恐怖感が甘い誘惑に打ち勝ち、引き返す事にする。安全地帯のノゾキのコル(1,845m)迄戻ると一安心して大休止。タバコを1本吸い気を落ち着かせる。緊張感が無くなった為か、左膝の痛みがひどくなった気がする(後日半月板損傷と診断される)。当初、それなりに緊張感の味わえる西黒尾根を下る予定だったが、登りに使った、安全かつロープウェイが使える天神尾根を引き返すことを考える。西黒尾根分岐(1,950m)迄左足をかばいながら戻ると極めて明瞭なトレイルが有り、この尾根を下りたいという、悪魔の囁きが聞こえてくる。結局今度は悪魔の囁きに負けてしまう(こうやって悪循環に陥るのだろう。)。ザンゲ岩(1,840m)迄は急な雪壁、以後暫くは右(南)に雪庇を張り出したリッジが続く。所々クレヴァスが口を空けている。左足が不自由な上にアイゼン団子がひどく、危険極まりない。おそらくヒドゥン・クレヴァスもあちこちに有るのだろう。トレイルを外さないように気をつける。厳剛新道分岐のコル(1,945m)手前の特に急な雪壁では緊張した。コルを過ぎるとまた暫くは右(南)に雪庇を張り出した、所々クレヴァスが口を空けたリッジが続く。やはりヒドゥン・クレヴァスもあちこちに有るのだろう。1,300m迄下ると漸く緩やかな稜線となりホッとし、この尾根に入って初めて休憩することが出来た。標高1,000m迄下ってくると積雪も少なくなってきたので、まだ早い(13:30)が、これ以上下ると積雪も無くなり、雪山気分も味わえなくなってしまうし、左足の痛みも酷いこともあり幕営する事にする。緊張感が完全に抜け、ダラダラしていると左膝の痛みが更にひどくなり、夜は痛みの為、寝返りが打てない有様だった。
31日
左膝の痛みの為、眠れない夜を明かす。ダラダラと朝食を摂り、ダラダラとテントを撤収、下山開始。昨日より更に歩きづらい。特に膝を曲げる時、伸ばす時に激痛(曲げたまま、伸ばしたままの時は痛みはさほどでもないが、これでは歩けない)。ビッコを引き引きほうほうの体で谷川岳登山指導センター(800m)に下る。
考察
ヒドゥン・クレヴァス転落した時点で直ぐに引き返すべきだった。2回目の転落が無かったのはただ単に運が良かっただけである。尤も最終目標の茂倉岳(1,977.9m)を目の前にしてはなかなか引き返せないが。
下山に際しては、痛む左足では、やはり登りに使った安全かつロープウェイが使える天神尾根を引き返すべきだった。まともに歩けない状態で西黒尾根を無事に下れたのはただ単に運が良かっただけである。