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あなたの見えている世界 わたしに見えている世界 3
本文は憧太パパが数年前に、ある広報誌に投稿したものです

 これらの特徴をもった障害で、コミュニケーション障害とも言われています。
ドナの著書「自閉症だったわたしへ」の中には次のような一節があります。

 わたしには、そうした人々の口から出ることばなどはどうでもよかった。
だが 彼らの方は、そうではなかった。わたしが、答えるのを期待し、待っている。答えるためには、自分が何と言われたのか理解しなければならない。だが、心を飛び立たせていろいろな物に同化するのがあまりにも楽しくて、ことばを理解するなどという平面的な行為には、とても興味が向かなかった。
「一体おまえは何をしているの?」いらだたしげな声がする。 とうとうこれは何か言わなくてはならないと感じて、わたしは妥協することにする。
そして誰に言うともなく、耳に入ってきたばかりの言葉をそのまま口に出す。
  「一体おまえは何をしているの?」
  「いちいち真似するんじゃありません」声は怒っている。 また何か言わなくては、と思い、わたしは言う。
  「いちいち真似するんじゃありません」 ビシャッ。またもや平手打ち。どうして?どうすればいいの?わたしにはまるでわからなかった。
 こうして人生における一番最初の三年半の間、おうむ返しの口真似だけが、わたしのことばだった。
「世の中」というものの存在にも気づいていった。わたしは声の調子やイントネーションも、世の中で使われているとおりに真似をした。だが世の中は、短気で怒りっぽく、冷淡で、容赦ない厳しさに満ち満ちていた。

 このドナの語ることは、先にあげた自閉症の特徴Aに当てはまることだと思います。

「なぜ、自閉症児はオウム返しなんだ?」と療育にあたっているわたし達も不思議に思うことですが、その理由が、この文よりわかります。もしかすると、これはドナの場合であり、他の自閉症者には他の理由があるのかもしれません。しかし、そこに「理由」が存在しているということは事実のようです。

 我々には意味不明と思える言動にも、きちんとした理由が存在しているのです。 ドナは、そうした「わたしの世界」と「外の世界」の間に立ち、数々の試練を乗り越え、深い思慮と洞察の末、自閉症である自らの内側の世界を客観的視点から説明できるようになったということです。  

  ドナの他にも、テンプル・グランディン、 グンラ・ガーランド、 森口奈緒美  ニキ・リンコたちは語ります。 彼女たちのメッセージは、いずれも独特な精神世界のことや幼少時から感じてきた「外の世界」への違和感、そして、うまく「外の世界」とコミュニケーションが取れないためにおきた「いじめ」などで苦しんだ記 憶であります。

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