秩父34観音霊場めぐり

中央自動車道を、甲府南ICで降りて、140号線 通称雁坂みちを秩父に向かう。 このみちは、予想外の
急カーブ続きで、いつもは相当にやかましい助手席も、遂に だまりこんでしまった。
峠を越えると、ようやく人里が見えてくる。 30番札所の法雲寺は、このあたりにある。 
初日の9月28日は、ここから打ち始め、宿泊先の「せせらぎ荘」に向かって、逆打ちで 22番童子堂まで
の9ヶ所を巡拝して時間一杯になった。
2日目は、秩父市街の北のはずれ、1番四萬部寺から始めて、順番通りに12番野坂寺までを巡る。
この12ヶ寺は、すべてが 秩父市内で、140号線の東にまとまってはいるが、結構山道があって、十分に
秩父を感じさせてくれた。
3日目は、秩父駅前にまとまっている、13番慈眼寺から 21番観音寺までの9ヶ所を、午前中に打ち終わ
ると、あと 残るは、4ヶ所だけ。 ところが、このだけがあなどれないのである。それぞれ、市街地から、
とばなれているだけでなく、31番観音院は秩父きっての難所とあって、足を少々痛めていた家内など杖を
たよりに やっとの参拝であった。 最後、34番水潜寺は、結願の寺に相応しく、人里はなれた山奥に
あって、古人の演出の妙をしみじみと感じさせるものがあった。 そして、坂東33ヶ所は無理として、
西国33、中国33と併せて百観音順拝が達成できたことに大きな満足感を抱きながら、なんとなく懐かしさ
を覚えさせてくれる秩父を後にした。

30番法雲寺は、旧道から更に更に入った
山の中腹にあった。
庭の斜面は、手入れの行き届いた皐月で
埋め尽くされ、花の季節の美しさがしのばれる。

28番橋立堂は、杉木立の中、切り立った
岩山を背負って、ひっそりと佇んでいる。

25番久昌寺への道には彼岸花が咲き乱れる

22番童子堂の山門だけは、茅葺で
独特の雰囲気を醸し出している。

その本堂も、それなりに ひっそりとした
 たたずまいを見せている。

ここまでで、初日は打ち止めにして宿につく。

23番音楽寺より、秩父市外を望む。
本日は一日中雲が低かった。

29日朝 窓を開けると、眼下はすべて
荒川の清流であった。
10羽ばかりの鴨の群れが、浅瀬で餌を
ねらっている。
この宿は、正にその名のとおり、「せせ
らぎ荘」であった。

1番四萬部寺の山門は、やはり
それなりの風格をただよわせている
様に感じられる。

その境内は、この日 小学生の写生
の授業に使われていて賑やかだった

この2番真福寺までの山道は殊に狭く
車がやっと通れるくらいであった。

軒や柱に貼られた おびただしい千社
札に、いかに多くの人々の祈りが込め
られたことか。

4番金昌寺の山門の2階部分には
多くの仏像が祭られているのが珍しい。

12番野坂寺が、2日目の最後になった。
ここは、中々の大寺である。
このように、秩父の札所は、大小さまざま
表情も様々で あきることを知らない

3日目 31番観音院は、市街地から西方
はるか遠い山間にある。その秩父きって
の難所は、この山門から始まるのである。。

急な参道のところどころには、こんな
句碑があるので、立ち止まっては読み
また登る。

海棠の花に埋もれて、小僧さんも
笑顔で迎えてくれた。

この本堂の背後にも、覆いかぶさるよう
な絶壁がある。

その地層は、約2000万年前の
新生代第3紀のものとみとめられ
ているのである。

32番法性寺の門前では、軽トラを乗り
つけて、取立ての生栗を売っている
おばあさんがいたので、土産にと しっ
かり車に積み込んで次へ向かう。

33番菊水寺は、かなり開けた田園の
なかだった。このあたりの札所は、街
中のそれより大きな構えである。

33番から、標識をたよりに、かなり複雑
な谷あいの道を走りに走って、ようやく
最後の34番に辿り着いたのは、門限
ぎりぎりの4時40分ごろであった。
結願の感慨は、またひとしおである。


往路の雁坂みちにこりて、帰路は 関越
道の花園ICから、上信越道、長野道を
経由して木曽路に向かうことにした。

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