『たかひろ・ギター回想録!』

1・「ギターとの出逢い」

昭和20年4月6日安芸の国宮島で生まれ4ヶ月後の8月6日母に抱かれ原爆のキノコ雲を見る。(覚えていない)14歳の時、楽器店に飾ってあったギターが輝いて見え、欲しくてたまりませんでした。親に「ギターを買って!」なんて言える時代じゃー無いから、竹で貯金箱を作り、1日の小遣い5円を貯金箱へ。いざ楽器店へ、そして買ったのが「ウクレレ」3千円のギターには手が届かず、仕方なく2千円で買えたウクレレを購入。家でウクレレをポロンポロン〜と弾いていると、兄が「おい!お前はギターが欲しかったんじゃ〜無いのか!なんでウクレレを買うたんや?すぐギターに買い換えに行こう!」と一緒に楽器店へ行き、不足分を払ってくれ、念願のギターを手に入れギターをジャーン!と鳴らす「エエ〜音やな〜!」と嬉しくてたまりませんでした。教則本「1ヶ月でギターが上達!」で独学。高校生の時プロのギタリストに憧れ、両親に「高校を中退してギタリストに成りたい!」と言うと「反対だ〜!卆業してからなら自分の好きな様にせい!」で卒業と同時に、ギターとボストンバックを持ち大阪行き、汽車に乗ると、見送りに来た母がプラットホームから「水だけには気を付けなさいよ!」と一言。汽車は走り出し、手を振る母の姿が、だんだん遠〜く成るのを見ながら「きっと、ギタリストに成って帰って来るけん!」と心の中で誓ったのは、昭和39年(東京オリンピック開催)の3月の事でした。それからギターに絡んでの様々な出逢いが始まる・・・。つづく

2・「鷹野先生との出逢い!」
瀬戸内の海に浮かぶ島々の景色を見ながら鈍行列車(広島〜大阪間運賃1800円)は大阪に到着!家からの仕送りは勿論無し、働きながらの大阪暮らし。住んでる近くの商店街にあるナカマエ楽器店のギター教室生徒募集!の張り紙を見て、いざ!楽器店へ2階に上がり、レッスンの順番待ち、前の人が{ワルツ・アンダンティーノ}をレッスン、(綺麗なメロディーやな〜と聴く)。いよいよ私の番、「はじめまして、お願いします!」『なにか弾けるの?弾いてみて・・』に{禁じられた遊び}を別に、あがる事無く弾くと『我流の弾き方やな!メロディーと伴奏が、ごちゃまぜや、こう弾くのや!』で演奏されたのを聴きながら(まさにレコードと一緒や自分の演奏と全然違うな〜と感心)『最初からやり直しなさい!』とギターの構え方を習い。次にカルカッシー教則本(300円)の始めの練習、開放弦の1弦〜6弦までを弾くと『早く弾き過ぎる音が切れてる、一音を弾き弦の響きを聴きながら次を弾く事。弦に指が触れてから弾く事。歩くのと同じで足が地に着いてから次の足を出すでしょ・・・』と習う。私はこの先生に習うと上手く成れる!と素直に思いました。「プロに成りたい!」とその時は言えず、楽器店のレッスン(月謝2千円)に通う事に成りました。・・・つづく

3・「遂に言った!」

「プロのギタリストに成りたい!」と鷹野先生に言ったのは楽器店に通いだして、いつ頃なのか、覚えていないが早い時期と思う(楽器店のレッスンで怒られた記憶が無いから)意を決して先生に「プロに成りたいのですが!?」と相談・・(無理だからやめなさい!厳しいぞ!等の、成れる!成れない!とのコメントは無し) 『じゃ〜、自宅の方へレッスンにおいで!』で自宅へレッスン!『ギターが上手く成るには良い楽器を持たないとイカン!』先生の進めで、とりあえず有り金をはたいて河野ギター5万円を購入。今までの3千円のギターとは音色や響きが格段の違いでした。レッスンは楽器店とは一変!厳しくなり、よく怒られました!(火が飛ぶが如く)。「音楽」で無く「音が苦」の修行が始まる。  

先生宅の近くのアパートに引越しました。4畳半1間の壁にはセゴビアの写真を飾り、「歌いながら弾く!」「楽譜と、にらめっこ!」「先生が見ている!」と書いて貼ってギター漬けの生活!朝は6時から練習を始めていました。早朝にも、かかわらず先生が突然訪ねて来られ『オー!やっとるやないか〜あそこは、こう弾く』とアドバイス。どうやらドアーの外で聴いていたみたい。後に内弟子として同居その時も、早朝から練習をしていると、2階から先生が降りて来て『ゆっくり寝てられへん!ちゃんと弾け〜!』と怒りながらもアドバイス!どうやら先生は隠れて練習を聴くのがお好き・・?  「音が苦」の修行!「レッスン編」に・・・つづく。

4・「レッスン編」 
『鷹野先生語録!』「ギターを教えるので無くギターで音楽を教える!」 

歌う事とリズムには特に厳しかったですね。レッスンの時。私が弾くと、『指で音を出している!全然歌っていない!』ミスをして弾き直しをすると『なんで弾き直しをするのや!歌ってないからやろ!歌では歌い直しはせんやろ!作詞をしてメロディーを歌いながら弾いてみ!』で作詞をして弾き語り「君がすきだー死ぬほどすきだー・・・」てな具合に他の生徒さんがいるのに恥ずかしなんて言っていられない!

リズムに関して特に3拍子のリズムの取り方が特別でこれを理解するのが難しい!

(ワルツのリズムの取り方、いち・にー・さあーん。と3拍目を大事に。)

今年の2月石原氏の公開レッスンを聴講の時「3拍子の歌い方で、オスカーギリア に殴られのじゃ〜ないか!と思うほど、怒られて習った!」と言って3拍子のリズムのとりかた方を教えるのを聴いて「これは教え方は違うけど鷹野先生と同じ事を言ってるな。」と共感!そのレッスン生は習った後、弾いたけど出来ていませんでした。「そう簡単に会得されたのでは、たまりません。もっと苦労してもらわないとね〜」

20数年前、他の先生に習われた上級者の人をレッスンした曲が「ラグリマ」なんですが、最近再開しての話「ラグリマのレッスンいまだに、理解できない・・・」とか

これ一つが理解できれば、全てに通じて道が開けるのにな〜!(今レッスンすればわかる)

3年前現代ギターの投稿欄(抜粋)の話です。あるプロピアニストがギターを習いに行って出会ったのが鷹野先生。「私はピアノを弾いているので、楽譜も読めるし、リズムもとれるとれるのだから、ギターの上達は早いだろう、とレッスンで、ワルツのリズム取り方を習い体験すると、すごく気持ちが良いののです。音楽の大切な要素であるリズム感覚のとりかたをギターで教わりました。リズム感覚を見直しライブに挑んだところ、お客さんから「最近君の音楽良くなったね、深みが出できたのと違うか?」と言われたそうです。

、その記事を江原氏(プロピアニスト)に読んでもらうと、「この人は関西で活躍している有名なピアニストですよ!」と感心していました。

では又、私のレッスンへと戻ります。師が『ワルツのリズムの取り方わかったか〜?』「ハイ!」『じゃ〜弾いてみて』で弾くと『駄目!出来ていない、わかったとは、上手く弾けることや〜!』で繰り返しのレッスン、で火の飛ぶが如く怒られる!私は委縮して益々弾けなくなる。本気で怒られ、師がホント怖かった!

自分では出来てるつもり、どう違うのかその違いが、わからないのですよ。

妥協はしない!師のこと、こりゃ〜、一生、『教えても良い!』の、お墨付きは貰えないぞ〜!と「音が苦」になり、落ち込む!「音が苦」に成ったけど、ギターを弾くのはくに成らなかったのが救い!・・・つづく

5・「ユニークなレッスン編」 

『師が弾く時は耳はダンボー目は皿!』 鷹野先生語録。

「月光」を弾く時は、落語をしながら弾きなさい!メロディーを「熊さん」低音部を「八っさん」で演奏。実際落語を語りながら弾くのは無理な話、落語を語る時、

「八っさ〜んやい!」「何でぃ〜熊さん?」と顔を振る要領で、メロディー、低音部を弾くと低音部がハッキリ出て、ここち良い三声の掛け合いに成る。そこが、ギターソロの醍醐味!

 「情景をイメージして弾く」ではソルの「ギャロップ」をレッスン中の事、テレビの競馬中継の馬の走るスピードに師がテンポを合わせ「ギャロップ」を弾き出すと、余りにピッタリと、はまり皆、大笑い!「情景をイメージしながら演奏を!」身を持って教えて貰いました。ソルが見たならば苦笑いかな・・・

 「力を抜い弾く方法」 師は『藤山寛美の阿保ボンに成り、口を、ポカ〜ン!と開けて弾きなさい、力が抜て引ける。』歯を食い縛って弾く人には効果有り。

『手を上に上げて力を抜き、ダラリと、両手を下げて、それから弾き始めると良い!』、そういえば、先のオスカーギリア。コンサートの時、弾く前に両手を、ダラリと下げ、寝ているのかな〜と思わせて弾き始めましたね。あれも、力を抜く方法かな。

 レッスン中の事。師が『一緒に弾こう!』以外で。師が弾き出して、こちらも弾き出すと、師は弾くのを止めて『師が弾いている時は弾かずに、楽譜や、手を見たり、しっかりと、聴け〜!』と雷が落ちます。これは一回怒られてから言い付けを守っています。『耳はダンボ〜!目は皿!』

「7・ギタリスト編!」
「松田(二郎)晃演先生」鷹野先生から聞いた話・逸話・等。

1957年「ギターの友」新人賞受賞!                          1959年来日中のアンドレス・セゴビアに認められる。
60年渡欧、セゴビア、ジョン・ウイリアムスに学ぶ。61年国際コンクール第3位。64年渡米、ヨーロッパ、シンガポール、香港、演奏旅行。の経歴。
アリリオ・ディアス曰く「沢山の日本人を教えましたが松田二郎がまず印象に残っています。日本のギターの始まりは彼から」(現代ギターより)
私が始めて松田先生のコンサートを聴いたのは神戸。プログラム最後の曲を弾き終わると、アリリオ・ディアス氏が立って拍手喝采!それを見て恥ずかしさを忘れ、私も立って拍手、スタンディング・オブベイションを初めて経験!。感動・感激の演奏でした。  
☆ジョン・ウイリアムスの天才的な所を見せられた松田先生は悩まれた時期もあつたとか、こんなエピソードが有ります。ウイリアムスが「シャコンヌ」を弾いているのを、隣の部屋で聴いていて、その部屋に入ると、なんと!「シャコンヌ」を畳の上に寝そべって楽々と弾いていたそうです!(無言・・・声も出なかった!)とか・・  
☆京都では、松田先生の「プロテロと私」の全編を聞きました。ギター演奏に詩の朗読を聞いていると、ロバのユニークな動きや情景、風景が浮んで来きました、凄く新鮮で素敵なコンサートでした。早速レッスン日に「プロテロと私」の真似、「きちが〜い、きちが〜い!」のセリフのところを、ギターを弾きながら「色きちが〜い、色きちが〜い!」で大爆笑!(怒られそう・・)
松田先生の演奏は音色良く、曲のイメージが湧き出る感じで聴く度に感動これぞ芸術! 
私は松田先生より勝るものが、あります。それは、ある日の事(私が内弟子の時)松田先生が鷹野先生宅へ来られて、夕食後に中国語の勉強!(麻雀)普通接待で勝たす所ですが、私は師よりレッスンの時の「妥協はするな!」を守り、3万両も松田先生から頂きました。翌朝帰られる時、松田先生が私に「お金を預けて置くから今度、利子を付けて帰して貰うから!」で私は「ハイ!」と頭を下げて見送りながら、心の中で言いました。(返り討ちやで〜)・・・つづく
{松田先生に麻雀で勝ったのも誇りですが松田先生の孫弟子ある事が1番の誇りです}

 

 

8・『レッスン編・(音が苦)から(音が楽しく)に成る!』

なかなか師から「教えても良い!」との御墨付きがもらえず練習の毎日の中レッスンを受けると、

師が『それや!その感じや!もう教えても良いよ!』とやっと御墨付きが出ました。

ホント、曲の流れが良く成り、凄く、はずんで弾け、体にリズムが入り込んだ感じ!「これか〜これなんだ〜遂にやったぞ〜!」で、その時から「音が苦」が「音楽」になりました。自分が教えだしてから、何故お墨付きが出なかったのか良く解る様に成りました。生徒さんが曲を上手く弾くのですが何か物足りないな〜と思う事が有ります、このほんの少しの違いなのですが、この少しの違いが「紙一重」なんですよ。

『教えても良い!』からは師は私が最初に習いに行った「ナカマエ楽器店」のギター教室を譲って下さり、生徒さんを回したりも下さりました。厳しいレッスンに、ついて行けて良かったと思ったものです。

この7月の事、ロッコーマンでの「はじをかく会」が終わり、今習われている方から「鷹野先生の昔のレッスンは凄く厳しかったそうですが本当ですか?」に私は「エッ!今は優しいの本当に?」と思い、どう心境が変わったのでしょうか?と考えさせられます。
{ギタリストを夢見、我武者羅だった修行時代の思い出話でした}

『6・楽器編』
14歳で始めてギターを3千圓で購入。鷹野先生に弟子入りして河野ギター5万圓。   「プロに成るには良い楽器を持ちなさい」で、爪に火をとぼし・・・(たら、ギター弾けないか〜)ラミレスを購入いざ先生、仲間の前で弾くと。

なんと美しい音色〜!が出ない?響かない?・・・皆大笑い、

先生は「そのタッチじゃ〜音は出んぞ〜」で先生が弾くと鳴り響き、同じ楽器とは思えぬほどでした。弾き込むうちにタッチも強化され音が出るよう成りました。

ラミレスは何種類か有りAMマークでした。後に現代ギターにセゴビア使用もAMだと有り先生の耳の確かさに感心!(数本から選んだから)

ラミレスの音色良くて気に入っていましたが左手が弾きにくいため、

ホセ・ヤコピを購入これも、先生に数本から選んでもらう。ボリュームは無いけど良い響きでした。その後 ヤコピを所有の人に3人出会い弾かせて、もらうと何故か今一・・・