{ギターとの出会い・作文集!}
『満さんの思い出』(たかひろ)
<出会いは電話から>
「HP見ましたギターを習いたいのですが・・アストリアス・魔笛・をもう一度勉強したいのですが」
『ほー!それはかなりの上級者ですね!楽器は何をお持ちですか?』  「ラミレスです」
『ほ〜!良い楽器をお持ちですね〜一度おいで下さい、家はどちらですか?』
「呉です」 『エッ!呉・・遠いですが、それでも、よければおいで下さい』
注:呉といえば我が家までJR・電車で1時間、更に車で30分掛かります。
満さんは遠いのに、かかわらずレッスンに来られました。
『何か弾いて下さい』にアストリアスを演奏・・・聴いて
『指は凄く動きますね!アストリアスは何拍子ですか?』 に 「え〜・・?」と答えられない。
『満さんは1拍子で弾いています、3拍子で弾いていません、フレーズ無し・歌って無い演奏です』で
開放弦にて右手のタッチの指導。カルカッシー・ハ長調ワルツからレッスン!
満さんのワルツの演奏に私が指揮をするも合わない・・?棒弾き・身体にリズムが入っていない。
リズムを身体に覚えさす為、私が背中から肩に両手を置き、演奏に合わせ身体を揺さぶります、
最初は演奏と身体の動きが合わずリズムとの格闘!何回もレッスンをする間にリズムが合う!
満さん曰く「カルカッシーが軽やかに弾けて良い曲だと思うように成りました!」で
独奏曲・「月光・ラグリマ・アデリタ・アルハンブラの思い出・アラビア風奇想曲・アストリアス
プレリードNO1・ファンタジ」など今まで弾いていた曲を初めてレッスンするも・・ことごとく,
『ダメダ〜!』と言われても満さんは嫌な顔をせず「言われる通りです!」と素直に聞かれました。
満さん送別コンサートでの演奏(アラビア風奇想曲・アルハンブラの思い出・アストリアスは)
入門当時とは内容が違い、歌いながらの心地よい演奏を聴きながら・・うるうる・・

<満さんのギター暦>
今まで4人の先生に師事、延べ15年余り習ったそうです。満さん曰く
「今まで習ってリズムの取り方を教えられなかった、クレッセンドで弾きなさいと習ったけど・・
歌いながら弾きなさい!はココの教室で教えられた!歌いながら弾く事が大事を教えられた!」
kazuhiroさんのお弟子さん(てっちゃん)の演奏を聴いた時『基本を特にリズムの取り方をきちんと
習ってるから、良い演奏が出来る良い見本だ!もしも満さんが最初に鷹野門下に師事をしていたら』と
思いました。・・{自慢かい?}と言われそうですがホント満さんの様な方を見ると
鷹野門下で良かったと自慢です!
この話は満さん書く事好きでない為承諾で私が書いています。・・が入門当時の事が
{笑い話}に成るので書かして頂きました。
『満さん三重でもギター続けて下さい!じゃ〜又会いましょう!』

満さんの「先生に出会わなければギターを辞めてた!」は嬉しい限りです!
私も満さんと出会い良かったです、有り難う!

{ギターとの出会い}

私が初めてギターに出会ったのは中学2年生の時でした。隣のお兄さんがジャズギターを弾いていて、そのギターを借りて、教えて貰いました。

「真白き富士の嶺」「北帰行」を(青焼きのコピー楽譜)で弾ける様に成りました。

ソノシートで「禁じられた遊び」を聴くと一人で弾いているのかと感心!いつかは弾きたいと思っていました。

{マイギター}

大学入学と同時にマンドリンクラブに入部。その時初めてマイギター(河野の5号)を購入!先輩に「魔笛・・」「シャコンヌ」を弾く人がいて、「私も!」とギター漬けの毎日でした。合奏・独奏にと、それなりに演奏出来るように成り大学を卒業・・から20数年、家でたまに弾く程度でしたが、友人がマンドリンクラブの主宰と知り入会、活動再開!

{寛さんとの出会い}

「ほたる工房祭り」(2年前の事)の展示場の片隅でギターを弾いていると、「寛さん」が来られ「ギターを習ってる!近日、先生の昔の門下生によるコンサートがラファエル教会で開催される」と紹介され、聴きに行きました。

{先生との出会い}

コンサートで、たかひろ先生の、凄くやわらかいタッチで弾かれるのを聴き「ギターって、こんなにも、やわらかく優しい音色がするのか!」と驚き、コンサートが終わるとすぐに「教えて下さい!」とお願いしたのが、たかひろ先生との出会いでした。

{初レッスン}

ギター教室へ入門、先生の『何か弾いてみて・・』に「禁じられた遊び」を弾き終えると『棒弾きで歌ってないですね、昌りんさん!禁じられた遊びを弾いて聴かせて』とレッスンに来られていた「昌りんさん」が弾かれました。聴くと「ゆっくりと、歌いながら弾いていて、なるほど自分の演奏と違うと感じられました」

基本からレッスンとの事で、開放弦にて右手のタッチから直されたのが初レッスンでした。

カルカッシ教則本、ハ長調ワルツをレッスンで弾くと『1拍子の演奏でリズムのとり方が身体に入っていない!』で先生は後ろから私の肩に手を置き演奏に合わせ、身体を、ゆさぶられるのですが、合わず自分のリズム感の無さを痛感する。徹底して、ゆさぶり特訓!でしごかれ、やがて身体の動きと指揮棒の動きが合う様になってきました。

{独奏曲}

今まで自分で弾いていた曲「ラグリマ・アデリタ・月光・メヌエット(ソル)・カプリチョアラベ・他」レッスンを受けると『ダメ!』と、こと如く手直しされ

「自分は、なんと35年間も無駄なギターを弾いていたのだ〜」と思いました。

リズムのとり方・フレーズの見方・歌いながら弾く秘訣など、知らなかった事を習い、独奏・合奏と楽しくギターを弾いています。1番の思い出に残るのはラジオ公開放送でのギター合奏の出演です!先生と出会い35年間を取り戻した気がします。

『35年遠回り』(作文・たちひろし)
おもいで
その1
 遠い幼き日、クリスマスの朝目覚めると枕元にま新しい木琴が。サンタさんって自分が欲しいものがどうしてよくわかるんだろうと不思議だった。嬉しかった。そのサンタは、当時もう勤めに出ていた1周り以上も年齢の離れた長姉だったと後でわかった。初めてのMy楽器。
その2
 小1のころ、学校から帰って木琴と、姉達の使い古したハーモニカを同時演奏。曲は“お馬の親子。”庭を掃きながら聴いていた母は、姉と2人で弾いているのかと思ったと。これは今でも語り草。
その3
 中学、吹奏楽部に入りたかった。が当時のクラブは女人禁制、男子のみのクラブだった。残念!
その4
 高1、芸術科目選択で、選んだのは音楽。授業でウクレレを習う。“ローレライ”をコードで弾くのが一学期の試験だった。とにかく楽しい。昼休み、音楽室に行ってはよく弾いた。「そんなに好きなら貸してあげよう。」ウクレレを持っていたクラスメートが1週間ほど貸してくれた。家でポロンポロンとやっていると「小さな楽器なのにかわいらしい音のするものだねぇ。買ってあげようか。」と母。当時800円か1,000円くらい。まさか買ってもらえるとは思わなかった。嬉しかった。これが弦のある楽器との初めての出逢い。
その5
 短大のクラブ勧誘で上級生たちがマンドリンを演奏。美しいトレモロの響きに心打たれる.。自分もこの楽器が弾けるようになりたいと思い入部。そしてまたも父に内緒で工面してマンドリンを買ってくれた母。その母への感謝の気持ち…青春を傾けたマンドリン…私の大切なおもいで。  それから30数年の時が流れて…

 2000年5月、町広報と一緒に配られてきた南公民館だより。その中のギタークラブ紹介の記事が目にとまる。“習ってみたい!”ふとそう思った。これまでギターというものは人が弾くものと思ってきた。自分がやってみようとどうして思ったのか、ふ・し・ぎ。
でも、もう若くはない。ものを習い始めるには、気おくれもする。で、家族に相談。「このとし年齢で変かなー?」すると「いいんじゃないの  。」半ば冷やかしの答えが返ってくる。ま、いいか。反対されたわけでなし、思い立ったが吉日、まずは見学させてもらおうとおそるおそる教室のドアを開ける…。「ギターを習い始めるのに年齢は関係ないですよ。」の先生のお言葉に少し安心をし、晴れて50才を過ぎてからの手習いということになった。
 以後ギターのあの甘くやわらかい響きや、音楽の持つおもしろ味に魅せられどおし。一日が26時間くらいあったらいいのにと思うこともあったりなんかして。(そんなに練習してるかナ?)
 「近ごろ、元気になったね!」とまわりが言う。そう、一生懸命になれるものがあるからと自分でも思う。それにギターを弾くことだけでなく、教室のみなさんの輪がまたいい。お顔を合わせるとホッとできるとてもいい雰囲気。偶然の出逢いだったのか、出逢うべくして出逢ったのか、ともあれこんなすばらしいグループの中に入れていただき、今最高に幸せ!元気になれるはず!“趣味は人生の財産”と聞いたことがあるが、真にその通り。

 けれど…音楽ってむずかしい。曲を理解して、いっぱいいっぱい弾き込んで自分のものにしていかなければ、自分も人も感動しない。何も伝えられない。“うまく弾こう”“格好よく弾こう”がつい先行してしまい、そこをよく先生に指摘される。見透かされてる。その度に“ああ、そうだった。”とはずかしくなる。その繰り返し。でも、だからまた奮起できるのか。
 最近“レッスンを受けること”と“独学”のちがいを感じ始めた。ことに音楽的(曲想的)なことにおいては、レッスンを受けてはじめてなるほどと納得できること、しばしば。むずかしいけれど今、ギターが大好き!しばらくはじっくり学んでみたい。何かをつかみたい。心からそう思う。
 夢は…“70才になってもギターを弾いているおばあちゃん!”どういうわけだか、小さな子供たちが聴いてくれてる場面が浮かぶ。実現できればうれしいナ。それまで元気でいなくては…。『ふうりん』
『青春再び』(作文・ふうりん)
 中学2年の夏休み、幼なじみの友の家で広島の高校に行っているお姉さんのギターが部屋に置いてあったのを友に頼んでちょっとだけ触らせてもらったのが私とギターとの最初の出逢いでした。中国山地の片田舎で見渡す限り山と田んぼに囲まれて育った私にとって、そのギターは都会そのものでした。あの日以来「ギターほしいなァ…。」「ギター弾いてみたいなァ…。」ってずっと思っていました。そしてやっと高校3年生の夏休みに生まれて初めてアルバイトをさせてもらい、そのバイト代全部もって広島楽器センターにギターを買いに行きました。その当時で19,000円でした。1ヵ月近く働いた分が全部ギターに代わってしまったけど、もううれしくてうれしくて、大切に両腕に抱えて帰りました。…が…よく考えたら、この田舎で誰がギターを教えてくれるでしょうか?すぐに音楽の教科書をめくってみたけど出ていなかったし、ギターが弾ける友達も一人もいなかった。やっぱり田舎じゃあだめなんだ…と肩の力がスーッと抜けていった様に思いました。社会人になって広島に出てきたのですが、なかなかギターを習えるチャンスもなく、その内日々の忙しさの中でいつのまにかギターへの思いもギターと一緒に押入れの中に納めてしまっていました。
 あれから30年が過ぎ、子育ても後半戦に差しかかり自分の時間が少し持てるようになった昨年の春、偶然目にした友和文化ホールの公民館だよりで笘原先生のギター教室が開かれている事を知りました。紹介欄に「初心者の方、大歓迎」と書いてありましたので、今しかないと思い見学させてもらい即入会しました。ギターに出逢えて、ギター教室の皆さんに出逢えて、そしてステキな先生に出逢えて、本当に感謝の気持ちで一杯です。
『私の宝物』(作文・昌りん)
 昭和15年に小学校を卒業し、ふるさとをはなれて海軍の造船工場であった呉海軍工廠の工員養成所に入り、厳しい教育を受けていました。故郷が恋しく淋しさが募る頃、休日の朝寄宿舎で上級生のお兄さんがギターを取り出して、ボロンボロンと爪弾いて聞かせてくれた時、自分もギターが習いたいなと思ったものです。でも段々と戦争が激しくなりギターなどもっての外、軍歌以外は音楽御法度と言う厳しい時代になりました。青春時代を戦争のために棒に振り、はたち二十歳の時敗戦という現実のもとに解放され、ふるさとに帰りました。当時の若者の間では、「素人演芸会」や「のど自慢コンクール」などがはやり、唯一の娯楽でした。素人楽団の演奏を何度も聴き、又もギターに想いが募ったものです。でも、どうしても機会に恵まれず、いつのまにか74才というおじいさんになってしまいました。その時、ふとしたことで近くでギター教室が開かれて居るのを知り、とんでいって先生に入会をお願いした時は、歳のことはとんと忘れて居ました。ギターは初めて、其の上楽譜も読めない年寄りを快く受け入れてもらい、毎日楽しく稽古をして、今では老人ホームに慰問に連れていってもらえるまでになりました。指が固くてコードを弾くのが苦手ですが、がんばってコードをいれて格好よく弾けるようになりたいと思って居ます。95才を過ぎる頃には、ギター教室が開けるようになれるかも??『寛』
『私とギターとの出会い』(作文・寛)

  『私と音楽』(作文・ヒラリン)

私の音楽の始まりは少し不純の処にあります。結婚前、自分の母校の事務員をしていた頃

当時は小学校や中学校にしかピアノや楽器は無かったし、それに加えて音楽の教師が若くてハンサムであったということです。夕方5時で仕事を終えると、何時間もピアノを弾いて遊びました。

(時は経ち結婚!)嫁入り道具を減らしてグランドピアノを買ってもらいました。

それを娘が使って、今は孫達も使っています。

そして私が30歳を過ぎ長女を生んだ褒美にギターを買ってもらったのですから、貴金属や着物でなかったと言うことは、やはり音楽が好きだと言う事でしょう!

ヤマハのギター教室に入って、クラシックギター習い始めましたが難しくて曲を弾けるまでに成らなくて1年位で挫折してしまいました。それからギターは何10年もギターはお蔵入りでした。

近くの公民館に出入りする様になった時、聞こえてくるマンドリンとギターの合奏練習を聴いているうち自分も、もう一度やってみたいという思いにかられる様になりました。そう思い始めて5年以上は迷いました。自分は以前に一度経験をしていて、難しいという思いが消えていないからでした。やっとの決心で入部はしましたが、ほとんど全く弾けなくて後悔の毎日でした。

私は音楽に限らず、色んな習い事に時間がかかります、人の3倍は手間がかかるという短所があるのです。その代わり人の何倍も長続きするという長所もあります。神様は人間の不器用をカバーする力を与えて下さってるのだと思っています。

マンドリンクラブは特別な指導者の居ないので、合奏の邪魔をしない様に弾ける所だけ弾いて、欠席をしない様、心掛けてきました。最近ようやく合奏する喜びや楽しみが出てきましたが、1曲が完全に弾けるという満足感は有りません。家族に演奏会に来てもらう自身も無いし、主人には「時にはソロで弾いてみいや!」と言われたりして・・この辺で、すっぱり辞めてしまうか、それとも本気で取り組んでみようかと悩んでいたところでした。

そして去年の11月「ほたる工房祭り」で笘原先生と出会ったのです!あの日は、たまたま工房の作品展示会を見に行っていて、「先生・ふうりん・たちひろし」さんのギター演奏を聴き音色の美しさに感動しました!帰り支度をしておられた先生に恥じも何も捨てて「ギターを教えて下さい!」とお願いし・・今日が有ります。

どれだけ勉強できるかわかりませんが、頭と目と耳と指先を使って頑張ってみようと思います。

 


『私とギター』(作文・龍)

 20才位迄はクロマチックハモニカにはまっていました。“遥かなるアラモ”“太陽がいっぱい”“ロンドンデリーの歌”サンサーンスの“白鳥”等はおはこでした。チェロの上手な人と合奏した事もあり良い想い出です。その後3000円のギターをスポーツ店で見つけ、衝動買いしてしまいました。すぐに古賀政男の独習本とカルカッシーギター教則本を買いました。“湯の町エレジー”と“カルリのプレリュード”はまあまあひける様になりました。しかし練習も大してしない為、進歩もなくあまり興味がわいて来ませんでした。
 25才頃でしたでしょうか。東京音楽アカデミーの通信教育が、ある雑誌に載っていました。早速ここで8000円のギターを購入し、通信教育を受けることにしました。小原安正先生のレコードを聞き、教材を見て練習しました。ソルの“月光”“J・Oクエイロツの“母の涙”スペイン民謡の“愛のロマンス”が少々ひける様になりました。“母の涙”は30才位の時、友人の結婚式の時に大胆にもひいてしまいました。母の喜びの涙のつもりでひきました。作曲家の方はどんな意味の作曲をされたのでしょうか。
 30代前半は、ギター同好会の仲間とギターを練習しました。仲間の一人が“アルハンブラの想い出”をとても上手にひいていたのが思い出されます。
 30代後半の時、イエペスさんのギター演奏を広島郵便貯金ホールで聞きました。映画「禁じられた遊び」で彼がひいた“愛のロマンス”がとても印象的でした。古賀政男さんはセゴビアの演奏を聞き、非常にショックを受け“影を慕いて”を作曲されたそうですが、私には何の変化もありません。・・・続く〜『龍』
『ギターと私』(作文・Msりん)
*出会い*
ギターとの出会いは18年前の事です。夫との出会いが私にとってのギターとの出会いになります。
趣味がクラシックギターの夫は、暇があればギター、休みの日など一日中弾いている状態。その横で、私は家事に育児に明け暮れておりました。初めて聞かされたレコードは、プレスティ&ラゴヤの「月の光」でした。
時にはギターの音階や楽譜を見せて説明してくれたりしていましたが、「私は聴く役」と決め込んで聞く暦15年が過ぎました。
子育ても一段落し自分も何か趣味をと考えた時、やっと、自分が弾いてみる気になりました。気が付けば傍にギターが有ったのです。
夫のギターを毎日きき、楽譜は山のように在り、レコードやCDがありコンサートも夫のお伴で時々行っていましたので、環境はギターを勉強するにはピッタリでした。
ギターを教えて、いつか二重奏もできたらと夫は思っていたのでしょう。思えば、聞き易いだろうとポピュラーの曲を弾いてくれたり、私用にと初級の教本を買ってあったりで、ギターを弾く楽しさを教えようとかなりの努力をしていたようです。
これが私がギターを弾くようになるまでの15年という長い道程です。
今ではギターが大好きで、たかひろ先生との出会いもあり、毎日楽しく練習しています。いつの日にか「月の光」夫と二重奏するのが夢です。
…たかひろ先生との出会の話は、また次の機会に書きます!
『私とギター』(作文・仁りん) 
ある日友達の家へ行くと、きれいな音色が耳にここちよく響いてきました。戸を開けると、それはギターの音。弾きながら気持ちよさそうに歌っていました。又、私が落ち込んだ時には、ギターを弾いて慰めてもくれました。「私もギターを弾いてみたい!」と思ったのはその時です。そしてこのギタークラブを尋ねると、先生は快く迎えてくださいました。
 入会して1年とちょっと。まだまだへたっぴだけど、これでも夢はあるんです。保育園の子どもたちを連れて散歩へ出かけ、野原でギターを弾きながら一緒にうたを歌うことです。
 早くそんな日が来ないかなぁ〜と夢みています。
『これからギターを(作文・宗) 
私がギター教室の存在を知り。以前、独学でやって自分には向いていないと諦めていたギターでしたが、佐伯町にそれがあるのを聞き「これは何かの縁だ。やってみろということなんだ」と思い早速そのあくる日、教室の見学に行きました。
 教室に行きまず驚いたことは、生徒のほとんどが年配の男性…そう、お爺ちゃんなのです。唯一の若者が女性だったことが不幸中の幸いというべき状況でした。
しかし、先生の奏でる音色を聞いてその想いも一遍、私の心はその詩の虜になってしまっていました。そしてすぐ教室に入り、そう経たないうちにギターを購入し、グイグイその魅力に引き込まれていきました。最初はマイナスイメージでしかなかったお爺ちゃん達も楽しい人ばかりで、教室に通うのもだんだん楽しみになっていき、これからも長い間続けていけるような気がしています。
このお爺ちゃん達のように楽しく歳を重ね、孫にかっこよくギターを弾いてあげられるお爺ちゃんを目指してギターを一生の友とできるように頑張りたいです。
『ギター教室内結婚』(たかひろ)
「宗君」の言う「唯一の若者が女性だったことが不幸中の幸いというべき状況でした」の女性とは「仁りん」の事です。
この若い二人は「不幸中幸い?」だったのか、なんと社内結婚ならぬ「ギター教室内結婚!」めでたし!・(詳しい、いきさつはいつか披露出来るかな・・)
「宗・仁りん」結婚披露宴では「たかひろ(ギター)ふうりん(マンドリン)テンスト(フルート)江原(ピアノ)」でバンド結成!二人の希望リクエスト曲で「新郎新婦入場〜ケーキ入刀〜お開きまで」10数曲演奏。お二人から「一生忘れない!」と喜びの言葉。
この6月6日公民館祭りに於いて「仁りん先生」のギター伴奏で保育園児の歌が披露されます、念願叶うステージが楽しみです。
 45才の時山口へ単身赴任し、60才の定年迄、残念ながら全くギターを手にする事がなくなりました。仕事が頭から離れなかったのです。定年後、妻が笘原先生のギターアンサンブルへ入会の手続きをしてくれました。その時よりギターが自分の体の一部であり、もう手放さないと思いました。娘に買ってやって娘が使わずに放っておいた3万円のギターを持って、入会早々先生の前でソルの“月光”をひきましたが、手がふるえ指が弦にあたりませんでした。
 ギター教室で習い、何とか10曲程度はひける様になりました。15年のブランクは大きく、すでに親指が痛くなっています。2009年にはタルレガ、アルベニスの没後100年にあたりますので、その時迄“アルハンブラの想い出”か“アストゥーリアス”がひける様にならないかなあと願って居ります。『龍』