第一記  ゆめのあと 〜南(河南)劇場〜  

 

私の家から1kmばかり離れた所にあるこの建物を、私は知らなかった。いや、正確にいうと、知らなかったわけではない。

小さい頃、よくこのそばを行き来していたし、今だって旧道を通勤に使っている。

建物があることは、知っていた。しかし、私はつい最近まで、ただの材木置き場だと思っていたのだ。(現に、もう少し離れた場所に丸太置き場みたいなところがあって、大きなトラックが出入りしている)

その、ただの材木置き場の正面上方に、「南劇場」という文字を認めた瞬間から、この建物は、俄かにいろは的脚光を浴びることとなったのである。

その建物とは・・・

たぶん自分で車を運転していたら、気が付くことはなかったのだろう。

たまたまその日、家人の車に乗せてもらっていて、横を向いた瞬間、いきなり「南劇場」の文字が飛び込んできたのである。何かの間違いかと思って、後日歩いて見に行った。

やっぱり書いてある。「南劇場」。知らんかったなあ。

これぞ、灯台下暗し!劇場、というからには、お芝居みたいなものを上演していたんだろうか。予備知識として私の記憶に存在しないということは、私が生まれる以前に、営業をやめてしまったものに違いない。

数々の疑問を解決すべく、私は一番手近なところから取材を開始した。

今治市内からずいぶん離れた、農家の連なるこの地に、いささか不似合いな娯楽施設である。

当時、どのような光景が広がっていたのだろうか。

かつては、少年少女たちでにぎわったのだろうか。

映画やお芝居の世界に、酔いしれた人もいたに違いない。

今は寂しき南劇場

いつの間にかその役割を終え、数十年、材木置き場として余生を送っている。人々の記憶は薄れゆき、やがてこの建物も朽ち果ててゆくのだろうか・・・。

 

こんな近くに住んでいながら、その存在理由に気が付いていなかったことに、何だか申し訳ない気がした。そんな訳で、記念すべき第一回目の「つらつらある記」に、河南劇場を取り上げたものである。