珠玉の言葉 

読書会より


読書会に初めて参加したのは1987年頃でした。
子供の頃から本を読むのは好きでしたが、年を経るにしたがって雑用に追われ
なかなか纏めて読む時間が取れなくなりました。

そんな時引越し先で「読書会」の講座に参加して、皆で同じ本を読んで感想を
述べ合うことで何倍にも深く味わうことが出来、充実感のある時間を過ごすことが出来ました。

一年の読書のテーマはメンバーで決めるので、
バラエティーに富んだ分野の本が読めて、意外な新しい発見があります。


私の場合本がなかなか読めないので、会に参加して読んだ気持ちになっているということです。
「こんな本を読みました」と言う程度のものですが、気の付いたことなどがありましたら
掲示板、メールなどでお話下さい。


トップページ メモリー





面倒だから、しよう  世界地図の下書き UP松月ホテルの人々 UP茶の本 UPクリオネのしっぽ
きみはいい子   ab さんご 養老院より大学院 楽園のカンヴァス 銀の匙
役に立たない日々 鉄のしぶきがはねる
だれも知らなかった百人一首 正岡子規 山田方谷の夢
日本語おもしろい 下駄で歩いた巴里 おひとりさまで幸せになる人、
ならない人

好奇心ガール 蜩 ノ 記
トーキョー・クロスロード 昔は今の知恵袋 自然に生きて 化粧する脳 おれのおばさん
女性の品格 漂流 利休にたずねよ 無礼なる妻 木のいのち木のこころ
土佐日記 鈍感力 お化けの世界 一茶 散るぞ悲しき
倚りかからず ハイジ 硝子戸の中 方丈記 俳句と地球物理学
出家とその弟子 蕪村 若山牧水 碧落に遊ぶ 熊山橋を渡る





クリオネのしっぽ      長崎夏海著(講談社)     第30回坪田譲治文学賞受賞作品(平成26年度)
中学2年生の美羽は、両親の不和や、先輩たちとの行き違いに悩む。友人も離れていったとき変わらぬ友情で接し
てくれる唯と転校してきたサッチに違和感を感じながらも接していき、それぞれに成長していく。

「自分に正直に生きる」と美羽、母親も友人たちも前へ向いて進んでいく。
                                                            2015年8月










茶の本   岡倉天心著  桶谷秀昭訳
これは天心が英文で書いた代表作である。
お茶は、日本文化の多くの要素を含み、日本人の精神の真髄を育てて来たものと思う。

華道、書画、着物、建築、陶芸、漆器、料理、菓子など、又人との交わり方も。
真の美とは何か、ということをあらためて考えさせられた。

人生を狂わせることになった二人の女性関係もあり、その女性たちの不幸な結末は残念に思うが、それも含めて
天心の人生なのだ。
文章の豊かな比喩に引き込まれる時もあった。
                                                             2015年7月









 松月ホテルの人々   神崎 貞代著   日本機関紙センター出版

昭和3年生まれ、昭和9年30歳前の父親は、山口県宇部市から作者と姉妹3人と母の6人の家族と咸鏡北道清津府に
移住した。

昭和20年8月13日ソ連軍が急襲してくる中、数々の苦難を乗り越えて日本に引き揚げて来るまでの貴重な体験が
生々しく語られている。

高校の友人の紹介で、ソ連軍が接収して軍用に使用した「松月ホテル」で働くようになった。
昭和21年和歌山に帰ってくるが、そこから長い戦後が始まった。                            2015年6月








 面倒だから、しよう    渡辺和子著  幻冬舎

1936年2・26事件で亡くなった渡辺錠太郎・陸軍教育総監の次女。その時、目前で行われた父の暗殺。
その後の数々の病気などの苦難と向き合って歩んで来られた著者の言葉には、信仰に裏付けられた深い思いが
伝わってくる。

自分の好きなものだけを愛するのは自己愛。本当の愛は、全世界の関わりとしての愛。

小さなことにも愛をこめて今を大切に生きる。

ダイオキシンを出さない生活。
不機嫌な顔、相手を傷つける言葉、冷たい態度、無視などは環境汚染という発想。

何が問題かと考えてみる冷静な分析が、物事を解決に導く。

など心にしみる言葉が散りばめられている。
                                                             2014年6月








 世界地図の下書き   浅井リョウ著(平成25年、坪田譲治文学賞)

両親を事故で亡くし、叔父さんの家に引き取られても馴染めず児童養護施設に入居する小学3年生の太輔。
なかなか馴染めない日々も少しずつ友の中に入っていき、皆で心を合わせて一つのイベントを作り上げていく。

選択枝はいろいろある事、そしてどの方向にも同じだけ希望だあるということ。
勇気と責任を持って自分で選ぶことで必ず道が開けることを、伝えている。

                                                            2014年8月








銀の匙     中勘助著  岩波書店

青年の頃、詩歌を好んでいたが、それでは表しきれない思いを散文に託した。「銀の匙」前編は、明治44年の夏27歳
の時信州野尻湖畔書かれ、後編は翌大正2年の夏比叡山で書かれた。

体が弱く伯母に大事に育てられた主人公が、体も心もゆっくりと確実にそして逞しく豊かな人間に育っていく過程が
明治大正の時代を背景に鮮やかに表現されている。

その時代の子供の生活や遊びが生き生きと書かれ、読み手をもその時代に引き込んでいく不思議な力を感じる。

その頃、夏目漱石はこの作品の価値を最初に認めた。

文章の美しさを所々に感じ、何度も読み返したいと思う。明治大正時代の子供の遊び、言葉、単語に時代は違っても
その世界に入り込んでゆく。本当の豊かさとは何かと考えさせられる。                 
                                                           2014年1月








楽園のカンヴァス      原田マハ著  新潮社  (2012年第25回 山本周五郎賞受賞作品)

東京都に生まれ、中学、高校時代を岡山で過ごし、大学で美術史を学んだ経歴の著者。
倉敷大原美術館や、ふと出てくる岡山弁などに親しみを感じて読み進めた。

大富豪の邸宅にあるルソーの一枚の絵、その真贋を見極めるために選ばれた二人の研究者。

倉敷大原美術館と、ニューヨーク近代美術館(MoMA)、パリ、スイスを舞台に、7日間攻防が繰り広げらてゆく。
ミステリアスな内容と、ロマンスの香を漂わせて物語が展開する。

「この物語は史実に基づいたフィクションです」という作者の言葉が最後にがあり、何が史実か、どこがフィクション
か思いながら読み進めるワクワク感もあった。

そしてルソーの絵の深い緑の中へ引き込まれ、今まで以上に親しみを持って見る気持ちが湧いてきた。
                                                             2013年12月








養老院より大学院      内館牧子著 講談社

女性で初めて横綱審議委員に選ばれた著者。大相撲を学ぶために大学院に行きたいと思った。『伝統や文化、民族行事
祭事の「男のみ」「女のみ」は男女差別に当たらない』という考え方。、、、(祭事や行事がそうなった初めの理由はどうだった
のだろうか?と思う)
東北大学大学院と決めるところから、入学後の若者たちとの交流。課題研究の授業の中で、容赦ない突っ込んだ意見など
緊張感のある学びの場面が伝わってくる。(大学院で学ぶことなどによって得たこと失ったことはいろいろあっても、
チャンスをつかんで前に進むことは、それぞれの人生にとって素晴らしいことと思う。)      
                                                              2013年10月








ab さんご     黒田夏子著  (148回芥川賞受賞作品

横書きになっていて言葉の使い方が独特であり読みづらいが、何か古典を読んでいるような雰囲気もあった。普通の辞書
に出てくるような単語ではなく、想像して納得するのに時間がかかる。それでも慣れてくると昔懐かしい思い出が、夢幻の
ように脳裏を行き交う。登場人物も少なく、家族と使用人の心理作戦が、不思議な力関係で進展してゆく。読書会の
テーマでなかったら読まなかったかもしれない作品、固まりかけた頭を少しほぐしてくれた。
                                                             1013年9月







きみはいい子    中脇初枝 (平成24年、坪田譲治文学賞受賞作品)

いじめに関する五遍のオムニバス作品。日常の生活をいとなむの中に、重い問題を抱えながら生きている家族や地域の
有様。ぎりぎりの所にありながら、最後には暖かい希望を持てるような救いがある。どんな不幸なことがあったとしても、
幸せなひとときがあった記憶が自分を救ってくれる。年をとっても、ふとしたきっかけで人との暖かい関係ができる幸せを
感じる。自分の子育てを省みながら、ハッとするところもある。それぞれに自分に置き換えて想像して見ることのできる
作品だ。                                                        2013年8月






役に立たない日々   佐野洋子  朝日新聞出版

絵本「100万回生きたねこ」の作者でもある。自由と、孤独を大切に持ち合わせ、見事に生き抜かれた人生に感動する。

初めはとりとめのなことを、日記のように書き連ねている。まさに役に立たない退屈な日々のように綴られていて、読むのも
億劫になってしまった。ところがガンになって余命2年と告げられた時から、サバサバとして行動的な本性が現れる。とうてい
真似のできない展開を見せる。いざという時に,
このように生きられる作者の人間的な魅力に惹きつけられた。
                                                             2013年7月






鉄のしぶきがはねる   まはら三桃(みと)著  講談社 (2012年坪田譲治文学賞受賞作品)

「、、、硬い鋼は切断され、鉄のしぶきが湧いてくる。まるで命のはじまりみたいだ、、、。」

鉄のしぶきとは何だろう? まず題名に興味を持った。
北九州工業高校の1年生、三郷心(みさとしん)。創立110周年の記念の販売用品作りを中原先生に頼まれる。

初めは乗り気になれなかった心(クラスで唯一に女子)が、興味を持ち努力し、工夫して行くようになる。その中で、旋盤という
馴染みのない機械について読者も自然と興味を持っていく。独特な用語、物の考え方、人間関係のあり方などを学びながら未来へ向かっていく。

祖父と父は、旋盤職人だった。祖父は「お金は盗まれる危険があるが、身に付いた技術は人には絶対に盗まれん。財産は
残してやれんけど、体の中にいっぱい宝を詰めてやれ」と祖母に言ったそうだ。

挫折から何を学び立ち直って、さらに進歩していくか。人生の岐路は誰にも幾つかあるが、いざという時にその人の本領が発揮されたりする。しっかり地に足をつけて、前を向いて歩いていく若者の清々しい姿に、共感を覚えた。     
                                                                 2013年3月






だれもさ知らなかった百人一首  吉見直人著  春秋社

1235年5月百人一首が誕生した。京極中納言藤原定家が老いの後、小倉山山荘で良いと思った歌、百首を選んで色紙に書き
障子に貼った。後に息子為家が名前のなかった作品に、作者名を記して「百人一首」として世に広めたというのが一般的な見方という。

「百人一首の広がり」では、連歌師宗祇との関わり、歌仙絵や歌かるたの誕生が書かれている。
持統天皇、小野小町などに関すること。源氏物語の影響もあることなど。

「今も昔も百首に始まる」では 「異種百人一首」「後撰百人一首」から「国会議員百人一首」「介護百人一首」などなど生まれている。
百人一首は、英訳、ドイツ語、スエーデン語、アラビア語、ロシア語、ルーマニア語などに翻訳されている。

文学の中にも尾崎紅葉の「金色夜叉」、高浜虚子の「五百句」、夏目漱石の「こころ」、「吾輩は猫である」、芥川龍之介の「葱」
などに関係がある。

また宝塚少女歌劇団の芸名が百人一首から付けられている(霧立のぼる、瀬を早尾はやみ、など)。
銘菓の名前にも(どらやきの「三笠山」など)

日本全国、世界へ発信するための拠点として「小倉山荘」と「時雨亭」が平成一八年にオープンした。
嵯峨野周辺に百人一首の歌碑建立が建立された。

百人一首の成立や広がりなど、貴重な資料や興味深い内容だった。
現代の生活にまで関わってくる歌の力を感じた。
是非一度、百人一首の歌碑めぐりに行ってみたいと思った。
                                                                2013年1月






正岡子規   坪内念典著   岩波新書

父は松山藩士、母は藩の儒学者大原観山の長女。高浜虚子とは隣合わせだった。中国の「本草綱目」や「太平記」などの筆写
を始め、回覧雑誌の創刊、漢詩を作り、政治演説に熱中することもあった。

新聞「日本」に入り、「獺祭書屋俳話」など書いて俳句の革新運動を始めた。日清戦争に従軍記者として参加したが、すぐに下関条約が成立したので帰路につくが、その船中で喀血した。俳句雑誌「ホトトギス」を創刊したり、与謝蕪村を紹介したり、万葉集を
高く評価し、「歌よみに与ふる書」も新聞に書いた。

病床にありながらも草花を描き、句をつくり、死の時まで、いろいろなことに興味を持って、研究してまとめている。
ユーモアのある文章、子規の人柄に集まってくる人々との交流、短い人生を凝縮したように懸命に生きた尊さに感動した。
                                                     2012年11月






山田方谷の夢    野島透 (山田方谷直系6代目の孫)  明徳出版社

1805年(文化2年)飢饉や天災で生活は困窮し、幕府は財政難に苦しんでいた頃。備中松山藩阿賀郡西方村(方谷駅から北東へ5キロの所)に山田方谷が誕生した。5歳の時新見藩の丸川松陰の塾に入る。方谷は松陰が驚く程の才能の持ち主。

父と母が相次いで亡くなったあと、菜種油の製造の家業を継いで、初めは利益が出なかったが、誠実な仕事と学問に対する真摯な態度に人が頼って来るようになり、藩主板倉勝職に認められる。藩校の有終館で学ぶ。京都や江戸に遊学する。

「政治も経済も対局感感を持たなければならない」という方谷。今の世にも大切なことである。

第十三代藩主板倉勝静となるが、藩の借金10万両(600億円)。方谷と共にあらゆる藩政改革を実行して、7年で借金を返しなお10万両の蓄えを作った。その後節約政策、民政刷新改革、教育改革、群生改革など行った。

方谷の最期の言葉は、「人は夢を持つことが肝心で、そのために努力すること。そして必ず夢は叶うと信じるのみである」ということである。

1866年の徳川慶喜の大政奉還に大切な役割を果たしている藩主板倉勝静と山田方谷。改めて歴史の表舞台に活躍した郷土の偉人を誇りに思った。                                                 2012年10月






蜩 ノ 記     葉室麟  祥伝社  2012年直木賞受賞作品

江戸時代(文化三年、1807年)、豊後の国(現在の大分県)の羽根藩向山村に幽閉されている、戸田秋谷を監視する
ように命じられた檀野庄三郎が訪れる。幽閉された理由、庄三郎の役目などこの地方の美しい風景描写とともに謎を
解くような興味が湧いてきて物語にのめり込んでいく。

10年後の切腹を言い渡されてから7年、家譜編纂とその様子を「蜩ノ記」という日記に綴っている。限られた命を淡々と
しかも凛として生きる姿に感銘を受ける。そして家族や村の者たち、庄三郎にも誠実に接し、尊敬を集めるようになる。

蜩の透き通るような凛とした鳴き声に、またその文章の清らかで美しい言葉に余韻を残している。
                                                             2012年8月






好奇心ガール いま97歳      笹本恒子著 小学館

2011年10月 初版発行
大正3年(1914年)生まれ今年で、97歳になる、フォトジャーナリスト、報道写真家である。
いろいろなことに興味を持ち、続けて来たことが、生きていく上で、全て役に立っている。

体調を崩して写真家協会を退職し、フリーのカメラマンとなった。
「心を惹かれるのは、一本筋の通った型破りの人。そして自然な関わりの中からシャッターチャンスを見つけ出す」
政界、財界人、作家、俳優などの有名人も撮り続けた。

96歳の時に、出合った写真展から、「恒子の昭和」という写真展を開催した。これをきっかけにスポットライトを浴びる
ようになった。

いろんなことに挑戦して、女性写真家としての人生を貫いていらっしゃる、好奇心とバイタリティーに感服する。
そして多くの経験から出てくる言葉に、刺激を受けることも多い。                       2012年5月






おひとりさまで幸せになる人、ならない人 柏木理佳著 幻冬舎
2012年1月15日第1版発行。

65歳以上の単身世帯の数は、女性が男性の3倍で、おひとりさまが夫婦、子供型世帯数より多いだそうだ。

いろいろ準備しておくことが具体的に書いてあって、参考になる。
「おひとりさまだからこそ『自立すること』が周囲に愛される最大の理由なのです」 また、上手に頼ることも必要、とある。

「何か一つこだわり続けることがポイント」
「楽しみながら長生きするためには、キャリアの他に衣食住すべてにおいたできる限りの準備を今からすることをすすめる。」と締めくくっている。
                                   
                                                            2012年4月






日本語おもしろい  坪内忠太著  新講社

「脳にウケるたのしい雑学」ということで、286項目において興味深く書いてある。たとえば

3)さいさきが悪いというのはちょっと変?
さいさきとは漢字で書くと「幸先」良い時に使わなければいけない。悪い時は
「縁起が悪い」である。

4)下手くそな役者のことをなぜ大根というのか?
大根はどんなにたくさん食べてもお腹をこわさない「絶対に当たらない」の意味からくる。

8)あたたかい部屋は、「暖かい部屋」か、「温かい部屋」か?
暖かいはは、主に気温、温かいは温度、暑いか、熱いか。

11)その一言で夫婦の絆が深まったは間違い。どこが?
絆とは牛馬をつなぎとめる綱のことで、それが、人と人との結びつきに転用されたものだが、綱だから深くはならない。「強くなる」「太くなる」固くなる」と言うべきである。

37)なぜ別れのあいさつは「さようなら」か?
漢字で書くと「左様なら」「然様なら」である。もともと武士の言葉で「左様(然様)ならばおいとまい申します」といっていた。

56)「生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉」(夏目漱石)
赤とんぼは「飛ぶ穂」が「とんぼ」になった。3千メートル級の山にいることも珍しくない。八月下旬になって気温が下がると里に移動し雄は赤く発色する。
ーこの句碑は岡山にあり私の好きな句です。ー

その他俳句の季語がいろいろ出てきます。
たとえば、「山笑う」(やまわらう)、「長閑」(のどか)、「海鼠」(なまこ)、「星月夜」(ほしずくよ)、「蚯蚓」(みみず)、「土筆」(つくし)、「雲の峰」(くものみね)「雁風呂」(がんぶろ)、孑孒(ぼうふら)、「嫁が君」(よめがきみ)、「心太」(ところてん)、「閑古鳥」(かんこどり)、「侘助」(わびすけ)、「夜の秋」(よるのあき)、「風花」(かざはな)、「凩」(こがらし)、「虎落笛」(もがりぶえ)など

96)名字の「四月一日」さん、「八月一日」さんは何と読む。
「四月一日」さんは「わたぬき」さん。
これは、四月一日になると綿の入ってない着物に替えるから。

「八月一日」さんは「ほずみ」さん。
陰暦の八月一日は稲の収穫(ほづみ)を始める日だったからである。

「小鳥遊」さんは「たかなし」さん。
小鳥が遊んでいるところは鷹がいないから。

「月見里」さんは、「やまなし」さん。月が良く見えるところ(里)には山がないからである。

179)チャンスを逃すことを「後の祭り」というが、「前の祭り」はあるのか?
これは祇園祭からきた言葉である。「前の祭り」が宵山、山鉾巡行などで盛り上がるのに比べ、「後の祭り」は小規模で中心になるものがなかった。

このように、まだまだ興味深いものが項目ごとに沢山ある。
本当に日本語は奥が深いものですね。
                                                           2012年1月






下駄で歩いた巴里  林芙美子著 岩波文庫
昭和5年(1930年)「放浪記」がベストセラーとなり、念願の中国行きをはたした。翌年シベリア経由で渡欧し、半年余りをパリ、ロンドンで過ごした。

「巴里の第一印象は空想していたのとは正反対だった。
夜明けだか、夕方だか見当がつかない程、冬の巴里は乳色にたそがれて眠るのに適していた。」

下宿は、鳩と猫の巣のようで気味が悪い。家賃は、350フランから300フラン(約24円)にまけてくれた。

「台所付き、家具付きだがどれも中途半端なものばかりだった。最も神経をいらいらさせるのおは、凸形の部屋の7面に張ってある壁紙である。」
「朝目を覚ますと紅色の洪水、目を閉じると瞼の裏まで紅く染まる、、、。」

「巴里へ来て二週間街を歩き回った。街をあてどなく歩いている人間の不幸さを知った」
「買い物に行くのに下駄でポクポク歩くので皆私を知っている」

自由奔放な一人旅。いろいろな困難を何にでも興味を持つ好奇心と、女性らしい細かい観察力とで興味深く伝えてくれる。巴里での生活を、まるでその時代にタイムスリップしたように。
文庫本わずか10ページの文章の中に芙美子の魅力が溢れている。
                                                            2011年11月
 






おれのおばさん」 佐川光春著  集英社   (2010年度坪田譲二文学賞受賞)

父親の不祥事から生活の基盤を失い、母の姉の管理している養護施設で生活するようになった陽介。そこには、それぞれの事情で家庭を離れざるを得なかった子供たちがいた。

陽介の叔母である管理人の恵子おばさんは、太っ腹で、おおらかな明るい人子供たちの一人ひとりと向き合い、包みこんで全体をまとめていく。

陽介は、素直で真面目、しかも勉強も良くでき、さまざまな困難にも、先生、友人や先輩たちに助けられ、成長していく。

「自分もおばさんのように全力で生きたい、その結果どれほどみじめな目に遭おうとも、おばさんや、卓也に胸をはれるだけの生き方をしたい。」

皆腕を組んで、輪の中央におばさんがいた。『がんばれおれのおばさん』と大声でエールを送った。」

こんな締めくくりに、現実の重さを受け止めてもなを、爽やかな読後感を残した。

「大人も子供も苦しみながら生きていることを書きたかった」という作者の思いが読者の心に伝わってくる。
                                                                2011年10月






up「化粧する脳」 茂木健一郎著 集英社新書

「化粧をする」ということは、すなわ、他者から見られることを前提に、自分自身のあり方を見つめ直すということである。
 
「私たちにとって他者は自己を映す鏡となる。自分自身の心が他人の中に投影される。」 前書きにこんな言葉がある。

顔の表情を読み取り、他者のこころを感じることが出来るかどうか、想像力が必要だ。

「、、、、わたしたちはみな、複数の人格メモリーを持っている。だから、自己の人格は他者の数だけ多面的であり、可塑性が高いものなのだ。」

自分と違う考えを受け止め、きちんと向き合って話し合うことが出来ることが人間関係の基本だと思う。

「人間の本質は他者とのコミュニケーションをする社会的知性に表れる。、、、、他者の心を読み取ることは、自身の心の奥行きを知ることに他ならない。」

「発信し続けることがコミュニケーションの本質ではないのだ。秘して黙すること
も、一つの言語なのである。社会的知性とは、饒舌と沈黙のあわいにある。」

沈黙の中の心理を想像して理解することは難しいが、理解しようという気持ちが大切である。

「自分自身から解放される」ことこそ、メタ認知であり、自分以外の視点に立って自分を見つめること以外何物でもない。」

「メタ認知は、人間の脳の前頭葉で行われている。自分自身の姿をあたかも自分の外側から、他者がみるように客観的に認識する能力である。」

「そもそも化粧というものが、自己認識にかかわる非常に深いものであるということについっては、意外に注目されませんでした。人間とは何か。その古くて新しい問いに対する答えが、化粧を通して見えてくるのではないかと期待しています。」

化粧がこんなに深い意味があるとは思ってもみなかった。その点において男性はどうなのかと思う。今は男性化粧品も少しずつ浸透してきているのかとも思うが、、、。
                                                         2011年6月






自然に生きて」  小倉寛太郎著 (新日本出版社)

30歳の時、日本航空労働組合委員長だった著者。
山崎豊子作「沈まぬ太陽」の労働組合の委員長、恩地元のモデルとなった。

山崎豊子の熱心な取材の様子や、それまでの生きざまと、それ以後の人生とを通して得た考えを綴っている。

初めは断ったが、山崎豊子の「正論が正論として通る世の中にするために書きたい」という言葉に八年にも及ぶ
熱心な取材に応じた。

軍国少年として育った著者が、成長とともに戦争の歴史を順を追って語っている。

父より学んだこと・・・「天知る、地知る、我知る」など
体験から学んだこと・・・「人にとって必要なことは、冷静な頭脳と温かい心」
               「子供に知られて困ることはしない」など

2年委員長をやって、現場に帰ったら、カラチ、テヘラン、ナイロビなど勤務させられた。

東アフリカから学んだこと・・・「異文化の尊重」価値観の違いを認め合うこと
                   「野生動物から学ぶ」など

「人類だけが特別なのか」「文化は人間によって生み出された瞬間から人間を規制する」などの言葉が心に残る。            
                                                           2010年9月






昔は今の知恵袋」 柴田一著 就実大学の名誉教授

主に岡山の歴史の中から、今に生きる知恵を教えてくれる。

「好き嫌いにも公私の別」 という人間関係の在り方は、現代にも通じる基本的なことと思う。

池田光政が閑谷学校を作ったのは、「儒教の精神を記念物に託し、後世に残したかった」
国宝の講堂、漆塗の床に円座で論語を唱えた時には、気づかなかったものが伝わってくる。

「徳川吉宗の享保の改革の時も、岡山藩は池田」光政、綱政にの時代からの新田開発や目安箱など手を打っていたので、あわてることはなかった。」
国も県も個人も、いざという時にあわてることのないように、手を打っておきたいものだ。
                 
「人生には上り坂、下り坂、まさか、という坂もある。『待てば海路の日和』とか。人生は長い目、広い視野で時期を待つのも大事なことかも知れない」
若い時には見えかなかったものが、年を経ると見えてくるものもある。

「邑久群中央に広がる平野を「千町」という。千町は広い意味ではなく特別な意味(洪水の時は被害が多いため、被害のない年でも毎年税率を低くしている田畑)である。」
千町平野の本当の意味を知らなかった。

「幕府も岡山藩も種痘を公認していなかった時、足守藩は緒方洪庵を招き、種痘を行わせていた。」
医療の問題は、早い対応が大切な命を救う。今も病と日々闘っている人々の悲鳴が聞こえる。

ずっと岡山で生まれ育った人たちには、歴史とともにより身近に感じられる言葉が多いと思う。岡山に生まれながら、全国を巡り又帰ってきて10年余りになるが、改めて歴史の中から学ばせてもらった思いがした。
                                                          2010年6月






トーキョー・クロスロード」 濱野京子著(2009年度坪田譲二文学賞受賞)

そこはかとなく悲しい、心の中にずっと抱いてきた淡い喪失感を抱えた高校生の栞。ダーツで選んだ山手線の駅に降り、町を歩くことが趣味。
そこで中学の同級生耕也と再会した。

栞を取り巻く友人、家族など心の動きと交流に青春ドラマが展開していく。
耕也との再会場面の、男の背中の文章など、ところどころに引き付けられた。
「ふとしたおりに肩胛骨がセーターの中から自己主張する。骨っぽい背中だ。、、、、こいつはどこかワイルドだ」などと。

携帯電話が離せない今時の高校生たちの人間模様、でもどこか大人たちが通ってきた甘く切ない恋と友情も追体験させてくれる。

また他の作品も読んでみたいと思わせるものだった。
                                                      2010年5月
 
 






木のいのち木のこころ」 西岡常一著

宮大工の仕事を通して学んだことが、具体的に語られている。
「大工は経験を生かして現場で木を使って物を考え、推測する」

「木のいのちとは、樹齢と用材として生かされてからの耐用年数である。
生きて来ただけ生かされなければならない。」

「法隆寺を建てた飛鳥の工人たちに今の技術は追いつかない。
法隆寺の檜は1300年前に伐ったものが、1300年経っても用材として生きて使われている」

宮大工棟梁の自然観として「堂塔建立の用材には木を買わず山を買え」
「木は育成の方向に使え」、「堂塔の木組みは木の癖で組め」

褒めることについての考えは
「褒めることはその師の枠の中で褒めている」
「褒めなければ自分で工夫する」、「褒めると小さく育つ」

必要以上に褒めすぎないということでしょうか。
親しみ深い方言の話し言葉で語られているので、知らない世界に自然に入り込める。
そして宮大工の長年の経験を通して、人の生き方についても参考になる言葉に心が動く。
                                                     2009年1月






無礼なる妻」 橋本夢道句集

橋本夢道は明治36年徳島県の小作人の子として生まれ、15歳で上京、職を転々と変えた後、銀座月ヶ瀬役員となり、あんみつ創案。名菓「月ケ瀬」の生みの親であるという。

大正12年萩原井泉水に師事、自由律俳句を作る。
昭和5年より栗林一石路らと「旗」を創刊、プロレタリア俳句運動に挺身。
昭和16年2月俳句事件に連座し2年間入獄。
戦後、新俳句人連盟結成に加わり反骨の俳人として終始した。

「俳句事件」で入獄のときの句

「うごけば、寒い」 
この簡潔な言葉に凝縮された思いが胸に突き刺さる。

昭和5年恋愛結婚禁止の時代ひそかに別居結婚するが、翌年それを理由に職場を首になる。

「無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ」
妻への裏返しの愛情表現、または国民を飢餓に追い込んだ世の中に対する思いかも知れない。

「妻よおまえはなぜこんなにかわいんだろうね」
妻への愛を貫いたこんな素直な句も魅力的。

時代と環境の困難を真正面から受け止め、創造力とユーモアでエネルギッシュに生き抜いた人生が表現されている。
肉体と精神から溢れ出る強烈な言葉は、既成の五七五のルールには嵌りきれないのかもしれないと思った。  

                                                     2009年12月






 「利休にたずねよ」(直木賞受賞)   山本兼一

「死を賜る」の京都聚楽第利休屋敷の切腹の朝から始まる、衝撃的な書き出しに引きつけられる。それからどんどん過去へさかのぼってゆく過程で、豊臣秀吉との確執が芽生え強まっていく。一言謝って命を長らえることは簡単だが、利休はあくまで凛として己の美意識を貫いた。なぜ秀吉の怒りを買って切腹を命じられたか、想像をめぐらす。

19歳の時に出会った高麗の麗人、その女性の形見の緑釉の小壺、それらが利休の美意識につながってゆく。この女性の存在は事実なのかは疑問だが、利休の生き方や意識の上に占める割合が少なからずあるように思うので気にかかる。秀吉はこの壺を欲しがった。

そのほかの女性とりわけ妻の宗恩の暮らし中からも、利休の人物像が浮かび上がってくる。

各標題ごとに名の知れた歴史上の人物や、その場所が書かれているので臨場感がありその中に引きこまれる。

利休は人生のいろいろな場面でドロドロとした所も通り越し、それゆえにより深いお茶の心、美の精神に到達したことと思う。

客の心に添うもてなしは、道具選びから話題など細部にわたり、楽しく時間を過ごすことで、豊かな人間関係を紡いでいくことだろうか。 「一期一会」「淡交」などお茶の心を感じさせる言葉に惹かれる。

自然を見つめる目、その中から命の輝きを見つけ出す心、お茶の心は俳句にも通じる。侘び、寂びの心を秘めている日本古来からの精神に通じているように思った。

丁度この頃林原美術館で「茶の湯の名品」という特別展があってこの小説に出てくる「大井戸茶碗」(別銘十文字)ではないかと思う物を見つけ感動した。
                                         2009年11月






 「漂流」   吉村昭

天明5年(1785)三百石積みの船に藩の御用米を積んで、土佐の赤岡浦を発った長平たち四人は、
暴風雨で遭難した。帆柱も切って漂い、無人島の鳥島に漂着した。

アホウドリの肉を食べ雨水を貯めて飲み命を繋ぐ。あらゆる困難に知恵を出し合って生きる工夫は、
人間の考えと行動の限界をはるかに超え、その生き方に圧倒される。
仲間が次々に死んで長平一人になったが、新しい漂流者が加わって生活を続けていく。

アホウドリが渡り鳥であることに気づき、干し鳥にしたり、アホウドリの卵の殻に雨を受けて
飲料水にしたり、後に漆喰を張った池を造り貯水したりする。

島に流れ着いた板材で船を造ることをはじめる。そして釘は難破船の錨を利用して作るなど、
想像の域を遥かに超えた計画を着々と実行していく。

その中で精神的な支えは無くなった仲間たちや、神仏に祈って心の安定を得る。長平が漂着してから
十三年後、完成したこの船で島を渡りながら日本に帰ってくる。

島での苦難に満ちた生活の中で起こる数々のアクシデントに次々に知恵を働かせ困難を乗り越えていく。
長平の広く物を見深く考える性格、仲間の輪を保ちながら実行していくリーダーとしての資質は、
男として人間としての魅力でもある。

いざという時に人間の本質が現れるものであることは、いつの世にも変わらないと思う。

今も不況が漂う難しいな時代でもあるが、少なくともこの無人島での困難な生活を考えれば、
まだまだ工夫の余地があると感じさせられた。

事実にもとずいて淡々と進められる物語に、いつの間にか引き込まれたれたていった。
                                                      2009年6月






 「女性の品格」   坂東真理子

1946年富山県で生まれ、東京大学卒業。69年総理府入省。内閣広報室参事官、男女共同参画室長、
埼玉県副知事等を経て、98年女性初の総領事(オーストラリア・ブリスベン)。
2001年内閣府初代男女共同参画局長。04年昭和女子大学教授を経て、副学長、同大学女性文化研究所長
などの経歴を持つ。

女性という限定に少し抵抗を感じたが、各項目ごとに納得できる言葉がある。

 淡々とした友情が長続きする品格のある人間関係である。
● 断る時はきっぱりと早くそして丁寧に。
● 世阿弥の言葉を引いて「秘すれば花、秘さざれば花なるべからず」と自分自身の失敗や苦労話は言わない。
  (これは重要な仕事を国内外でずっと続けてこられた社会人としての言葉
として理解できる。ただ友人同士、時と場合によっては経験にもとずく失敗談などを話せるのは、
しっかりとした自分自身を持っているということで、相手に生きる勇気をもたらすヒントになることもある
のではないかと思う)
●  仲間だけで群れない。品格のある女性は一人で生きていけること、群れないことから始まる。
●  心をこめて褒める、感謝はすぐ表わす。自分で自分をコントロールする力を持つ。
  自分を客観的に見ようと努力することが人間の品格を高める。

あとがきのように、強く、優しく、美しく、そして賢くと努力することを心に留めていきたい。
                                  
                                                        2008年11月






土佐日記」 (紀貫之)  林望

土佐の守として4年の任期を終え、承平4年(934)京に旅立つ。12月21日から翌年2月16日までの船旅を、若く活発な女の手で書かれたように演出している。任期中に亡くした娘のことなどしみじみとした思いや、人生の哀歓が読み取れるが、貫之の機知に富んだ発想が見られるところに新しい発見があった。和歌を味わいながら貫之の若く魅力的な人間像に触れて、豊かな気持ちにさせられた。
                                                                                          2008年10月






鈍感力」  渡辺淳一

鈍感というと悪いイメージを抱くが、「力」が付くとこれは鈍感という能力なのだと発想の転換を促される。もっとも「良い意味での鈍感」という前置きがいつも付きまとう。
本来の才能を開かせる力となったり、環境適応能力の原点になるのが鈍感力とか。
恋愛や、結婚生活、親子関係なども、又健康維持も鈍感力がプラスに働いているとある。
なるほどと自分に当てはめてみるが、良い意味で鈍感力となっているかどうかが問題である。                                                                  2008年6月




お化けの世界」  坪田譲治  坪田譲治全集

父親は親戚との金銭トラブルを抱えていた。父は降参相撲をしようと言い、善太と三平は嬉々としてかかっていった。父はこの二人の可愛い遊戯の内に死ぬことが出来たら極楽という気持ちがした。「死ぬのは一寸も怖くないとお父さんが言っていた」と
三平は言う。感受性の強い三平、父親の不安が乗り移って現実との境が怪しくなる。死に対する父親の言葉を信じて父に試そうとしたり、先生が獣のように見えたりする。善太は三平とじゃれ合ってからかいながら最後は気遣う兄らしい優しさが見られる。

「善太と三平の会」というのがあって毎年郷土の作家坪田譲治の作品を読む。
童話は子供のものと思っていたが、子供の生きていく環境や親の生きざまをありありと書いていて、大人には大人の感じ方で伝わってくる。                                    2007年2月






「一茶」  藤沢周平

小動物に優しい眼差しを向けた俳句が親しまれている一茶だが、その生い立ちは波乱に満ちている。幼くして生母を亡くし義母との折り合いも悪く江戸に奉公に出される。
その後俳諧師を志したが其処でずっと生活していくことを諦め、凄まじい財産争いを経て故郷に帰る。そういう数々の辛酸を舐めて人間を疎ましく思う時、物言わぬ小動物が
愛しくなるのか。晩年は若い女性と何回か結婚するが何人もの子供を亡くしてしまう。

「、、、森羅万象みな句にしてやった。、、、その目で見れば蚤も風流、蚊も風流、、、」
最後は「ごくらくじゃ」と言って確執の溶けなかった義母の看取られ、優しい妻のお腹に子供を残して亡くなった。
一茶の俗な部分を曝け出し、人間の魅力が書かれている。

(この月のテーマは藤沢周平の作品)                               2008年1月






散るぞ悲しき」  梯久美子 新潮社

昭和19年6月8日栗林忠道中将が硫黄島に出発した。徹底抗戦に備え主陣を海岸から離れた後方におき、地下陣地を作り雨水を飲料とした。
米国との国力の差は明らかで、勝利のありえない戦いに部下とともに死力を尽くした。
「観察するに細心、実行するには大胆」というのが栗林の真髄。
水不足と噴出す硫黄、最高60度にもなる気候が兵士を苦しめた。
5日で落ちると言われた硫黄島を36日にわたって持ちこたえた。
米国は硫黄島の4日間の戦闘が、ガダルカナルの5ヶ月間にわたるジャングル戦を上回る死傷者を出した。
そんな中で「信念を持って自分らしく生きよ。厳しい現実に立ち向かい子供たちと共に強くあれ」などと家族への細かい心ずかいの手紙も残っている。
人間として男性として魅力あふれる人。
平和な今の世の中にこそこういう人物が必用と思った。                    2007年11月  




倚りかからず」   茨木のりこ

ずばりと確信ついた言葉の詩に心を惹かれた。詩の終わりにはほとんどといって
いいほどユーモアの言葉が「落ち」のようについてくる。
「木は旅が好き」「倚りかからず」「マザーテレサの瞳」など心に残る。
現代の若者から年輩の人々まで納得出来る言葉が並んでいる。
茨木のりこの詩に出合って良かった。                                      2006年






ハイジ」   J ・ジュピーリ

美しいアルプスの自然のなかに育ったハイジ、天真爛漫な発想と行動がアルムに住んでいる人々を明るく楽しくしていく。フランクフルトの生活には慣れなかったが、周囲の人々を引き付ける魅力があった。人々に勇気と生きる力を与える天使のような少女ハイジ、子供の頃読んだ「アルプスの少女ハイジ」。 
半世紀以上たって読んで、ハイジの優しく純粋な心に感動の涙が溢れた。               2006年






硝子戸の中」  夏目漱石

ガラス戸の中という狭い自分だけの空間で人との交流や、世の中の出来事を感じたままに書こうという前書き。
貰った犬にトロイ戦争の英雄の名前を付ける。居なくなったその犬が女性の家でなくなり
その女性から身の上相談を受ける。「凡てを癒す時の流れに従って下れ」という。
死にとらわれていた自分自身が生へと気持ちを変える。
小説家として有名になると、相手の気持ちを思いやることなしにいろいろな人が訪ねてくる。そういう煩わしさにも丁寧に対応しながら書くことの粮にしている。
書斎に居て流れを下る舟のように自由に心を遊ばせ、自分の育った町へ、そして母親へ思いを馳せている。
やがて来る死を思い、今を考えながら生きている。「悪戯で強情な私は、、、」と書いてあるが、真面目で几帳面な性格も表れているようだ。                                     2007年9月






方丈記」  鴨長明 (講談社文庫)

「行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。、、、」
この無常の文章から始まる方丈記。ずっと前に買って読みかけのまま本棚に置いてあった。年を経て読んでみると文章が心に沁みるような気がした。

大火事や大旋風、福原遷都、大飢饉、大地震などの記録と共に人々のようすが淡々と書かれている。そして作者の晩年の苦悩、庵の生活から心の平安を得るが、迷いはなくならない。
「こだわりを捨てる」ということを仏に教えられる。般若心経の世界である。
読書会のメンバーがそれぞれ違う訳者の本を読んでいて、その内容が少しずつ違っていたことも興味深かった。                       2007年10月





俳句と地球物理学」  寺田虎彦

俳句を勉強しているのでこのタイトルに興味を持った。「物理学は知の学であって同時に又疑の学である。」「疑は知の基であって能く疑う者は能く知る者である」という言葉に納得する。「風流」とか「さび」というものは自己を反省して批評する事によって得られる心の自由があって初めて達し得られるとある。人間も自然の一部分とみる花鳥諷詠の俳句の精神をあらためて感じた。

(この月のテーマは寺田虎彦の作品)     2005年






出家とその弟子」  倉田百三

親鸞が法然の教えを受け継ぎながら唯円や他の僧たちに伝えることは
「正直にあるがままの自分を見つめ、苦しい時も怨みを抱くことなく忍耐すれば、自ずと智慧が生まれてくる。他人を裁かず赦さねばならない」
「聖なる恋は隣人として愛することである」
「死に際してはほんの少しの確かなものだけをしっかり掴んで行きたい」
と自らの生きざまを通して語られている。
十代の頃に一度読んだことがあったが、最近これほど初めから終りまで泣きながら読んだ本はない。心の洗われる思いがした。                   2004年






蕪村」  藤田真一

蕪村の句はいろいろな歌人や俳人たちに影響を与えてきたという。
その作品と人物に惹かれるのは、この作者の言葉を借りれば、
「蕪村は天空を自在に飛ぶ翼を持っている。時間と空間を自由に飛ぶ翼を持っている。
時間と空間を自由に行き交う精神の自在さがある。」
以前から蕪村の句と絵に魅力を感じていたが、精神の自由さは自分の中でもそうありたいと願っているものである。
不二ひとつ埋み残して若葉かな  蕪村
こがらしや何に世渡る「家五軒」  蕪村                                   2003年





若山牧水」  新編和歌の解釈と鑑賞辞典   井上宗雄 武川忠一 

明治十八年宮崎県に生まれ、四十三才で亡くなるまで旅と酒を愛し、数々の歌集を残した。教科書で学び覚えた歌も多く今読み返すと、漂白の寂しさと清純な魂を感じて心をうたれる。 
「海底に眼のなき魚棲むといふ 眼の無き魚の恋しかりけり」
「かたはらに秋草の花かたるらく ほろびしものはなつかしきかな」牧水                  2003年






碧落に遊ぶ」    中野孝次

坂口安吾や本阿弥光悦、道元などの言葉から人が生きることの智慧や指針を示してくれる。特に「ヒトが本物の人間になるのは六十を過ぎてからであろう」という言葉が心に沁みる。いろいろな物にとらわれず積極的な気持ちを失わず生きたいものだ。
                                                      2001年






詩人永瀬清子作品集」 熊山橋を渡る  山陽新聞社製作

岡山県赤磐郡熊山町出身の日本を代表する詩人永瀬清子は、豊かな自然と人間を優しく包み込む詩、宇宙への広がりと力強い生命力を書いた詩、平明で読みやすく親しみやすくて尚且つ格調高い詩、今の世の中の煩雑さの中でとても心が癒される詩である。

「永瀬清子詩集」  現代詩文庫第二期近代詩人篇
「降りつむ」「美しい国」だましてください言葉やさしく」「夜明け」など好きな詩です。

(この時のテーマは詩歌の世界)                                     2000年



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