絵・・




美術はきっぱり嫌いでした
そんな自分が絵を描くなんて?!と今更ながら言っても
どういえば良いのか・・。いや色遊びをしてるんです
多分・・・そう言いきかせながら楽しく絵を描く事を
教えてもらったのは入院中でした。

なぜ嫌いだったか・・。
それはすごく簡単で・・学校いっせいに写生大会が
あり風景画を描かなければいけないのですが
秋の紅葉とおもきや・・まだ青い緑が秋の空に・・
え?マジですか!!!!!!!!!!なんていう心境

色をぬれと・・。何を隠そう風景画は大の苦手。人なんて無理。
何をやっても駄目なのですが・・風景画は遠近感という
技法を使うので・・
「そんなん・・むり」
そんな一言。それで審査をされてあれこれと批評をうける
それが嫌いになったもので心がズキっていたいんです

「一生懸命描いたのに・・・・なんでだよ〜」って
合点がいかない上に上手い人はすごく上手い
一緒にそうやって審査される心がひねくれている自分は
「許せねー」と・・。


今はそんなこともありません。それは悔しいけど
描きたい絵でそうやって審査されるのでそれはそれで
「ああそうなんだな」と思えるようになりました
(とりあえず大人・・。)(本当か?)

そんなこんなで・・「へん〜もういいもん〜」
よくある意地っぱり・・。
心は「どうせ・・・もう・・描くのなんていやじゃん」
「なんで描いたのにどうこういわれるんだ・・しかも
描きたいもんって・・違うし・・」
最後は「めんくどせー」
色は塗りたいけど・・上手く形になんない絵が・・・・。


そんなおり・・持病がついに思春期になりもろもろで
しんどくなりついに入院。
入院先は6歳からいってたので・・うーん・・・
「14でいくと〜まず帰れないな」とちょっと寂しい。
勉強も・・・進路の時期・・夢が崩れたのでなげてた。


そんな折・・美術室という絶対あけないであろう
部屋へ・・何気に入ったのでした。
そこは団欒してた先生達が笑顔で迎えてもらいました
さて絵の話なんてなくラジオから音楽が流れて
先生は休憩時間を満喫されておりFMからは
お昼の番組がながれはやってる曲などが流れていました
CDも買う事がなかった自分は心地よくびっくりでした

そんな折・・アニメのドラゴンボールが描けるという
いうお話に・・好きだったもので食らいついて
しまいました。
セル画。正しくは「アニメーションフイルム」
あの!「アニメフイルム」なのでした

やり方は教えてもらい・・さて・・・

付けペンを走らすが・・フイルム音・・ジ・・・・・・
フイルムの削れる音だけが響いたのでありました

でもでも描きたいというかなんか一枚完成させたいというより
ここでやめたくないなんて意地をはり・・
しばらく悪戦苦闘・・出来上がったらはみ出してる色・・
それに・・「やだな・・」とおもいやっと?というより
色塗りが楽しいのでひたすら・・・かけない線を描いてました
この線描きをトレースというそうです。

鉄砲数うちゃ当たる?状態・・しばらく続きます


そうして・・・段々・・コツを覚えていく頃でした
美術雑誌 浮世絵を見たのです・・
これにはなぜか圧倒されてしまい
(何故だか今でも不明だけど)今思えば線とその色が
すごく気になって・・描いてみたいと思い始めたくらいでした。
丁度その頃から色んな人と絵を描いてました
美術の時間に。これがターニングポイント??かどうかの
動機は不明・・。形がなくても自由に好きな色を良い

塗ってもらっていたのをみてなんでかあ!っと
「それで良いのか??」でも先生は怒りません
色を作ってあげながら友達が嬉しそうに見つめていて
色をすごく良く知ってるのです。

それが心になぜかひびき・・絵って・・形もたいせつだけど
もしかしたら・・好きな色を好きなように使えると
もっとたのしい?のではないのか?と。
それにはその色が出せるようになりたいな〜と
はじめて・・おもった記憶を忘れることはなかったと
おもいつつ。

入院して自然に教えてもらったんです。
形にこだわるより楽しむ・・描きたくなかったら
描かなくても好きなものを表現したらいいと。
邪道かなと思いつつもだんだん・・友達を通して
自然にかんじれるようになりました。
友達は「キンジスジズトロフィー」という病名がつく
だんだん動けなくなる・・・という事でした
なんとなくでしかわからないけど・・
ただ分かるのは・・進行がはやくて・・毎日が大切なんだと。
命なんて考えた事はないのです。
ただいやだな一緒にいる時間が少なくなるのは・・と。
「さびしいじゃん」って。普通の友達感覚でそう思いました

その感覚を麻痺とも言うけど・・寂しいことは寂しい。
そうして絵を塗っていた?ころでした

あるとき、その先輩が自分の家を描いていたそうです
動くのは左手のみ・・
毎日ちょっとしかぬれない左手で
考えただけでびっくりでした・・・。
「自分の家を描きたい・・・」
自分の家・・・なぜ?と
何気に病室へいくことがありました
動けなくなると・・ベッド生活になる
家に・・・・帰るのが難しくなる・・
目の前でふと・・そんな光景をみたとき
「家に帰りたいよなあ〜家族と一緒にすごしたいよな〜
さびしいじゃんね〜そっか〜と」

思いながら完成を待っていました・・・
何気に。
そうしてできた時・・・
その人は旅だって逝ったそうです
そのもってうまれた時間と共に。
初めてかんじました
「生きていたことを何かで残す、それが自分が一番な物を」
その人は
「家」でした。
その先輩が高校卒業をする何日かまえの出来事でした。
あと少しで卒業・・・。
普通なら・・できる事が・・できない事が現実に
起きるんだなと・・改めて入院したところをどうゆう所か
否が応でも感じる事になりました。


それから・・・自分の絵を描く事がたいせつなんだなと
色を捜しながら・・自分の好きな物を見つけて
自分らしいものを描けたら良いなと・・
やっと気づいたのは高校生くらいで・・
「生きる証」というものを絵から学んできたんでは?と
離れてても・・卒業しても 絵を描いてるという
自分のカラーができる事で、病院にいる友達が安心するかなと
勝手ながら・・思い・
になりました
それも下書きもせず・・・途方にくれることも
金銭的につらい事も・・ありましたが
勉強できて良かったなと思いました。

そう同級生がすきだった色
「エメラルドグリーン」が忘れられません。
ニコニコとしたかおでいつもさわやかな色をマーカで
塗っていた事が忘れられません・・・。
みんな色が好きだったように思います
勝手ながらですが・・。
もう二度と会えませんが・・
「エメラルドグリーン」
明るく元気な緑 春のようないろ 
時々その言葉がふっと浮かぶと笑って筆をもってます。
絵は不思議な力を持ってるなとおもいます。
そんなこんなで・・今も筆を取ってますが多分あの時の
光景がなかったら絶対描いてはいないでしょう〜!
これは断言できます!!!
いい出会いでした。

かしこ

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