喘息??

今更ながら言うのもへんですが
そう喘息を持って生まれたしまった
親の遺伝子100%天然素材です
純正ともいうのか?
血統書つきともいうのか?
馬か?牛か??というような言い換え方
になったけどまあそうらしかったらしい
喘息にも色々あるそうですが、たまたま自分は
天然素材で生まれてきて大きく出てしまったということ
だったんだと思った。それはうーんと後で(笑)
それは過去・・いやちょっと最近になるけど
家族が喘息を起こし入院したのを見て
驚きびっくりだった自分
ちょっと納得?なんて変に安心した
自分がいたような気がする
安心してどうすんだ!っていう
変な子供だなとも思ったけど・・。
まあ自分の話に戻ろう・・。
小さい頃まだ3歳の頃医学もそんな今のように
進歩してない時代・・・。
突然の咳と共に夜中に出てきて病院へ行くことから
始まった。まさかそれが今日に続くなんて
思うわけない。その頃は弱いなあ・・・
くらいで喘息ってあんまり認知される病名でも
何でもなかったので・・その内治るよってな感じ
まあのど風邪くらいでたいして気にも留めずに
でもね・・・
毎日毎晩病院で診察されて点滴打って
朝帰って学校行かない日が多くなると
あれって?感じで・・家族一同??はなにゃ??
でした。まいったなあって・・・
その内入院が出てきて長くなっていくと同時に
心配は重なる。病院代も重なる・・
家族崩壊の危機 誰もがつかれきっている
でもとうの本人6歳くらい
しんどいだけ・・・。
それで今の西医療センター旧原病院へ行くことになる
紹介状をもって親子ともども
開けたところにあると思いきや思いっきり田舎
エ--------------------------------!!!!!
マジ?!さすが療養所ってかんじで
住んでたところの家も田舎から街の病院?と
※(今は市外にありとても交通便利なところに移動してます)
思いきや田舎にある病院・・・・
しばし疲労のいろがぬぐえなかった・・・。
さて入院。親がついてると思いきや完全看護って事は
一緒にいられないってことじゃん!
いやや・・。さびしかったですが、元気になるのならと
家族はおもい置いて帰ったそうな
そして一言主治医の先生から
「喘息 慢性気管支炎ともいうがもう治る=完治はしないよ」
え?耳を疑った。せんせそれはないじゃんって」
「何かこう言い方があるじゃんけ。」
こどもの思いとは桁違いに
「治らんって?!!!?難病??????!!
こわいじゃんけ」
子供心に思い「ガチョーンって。」
まあコントロールできるようにできれば楽になるから
なんて言われてはあ・・・「わからんそんなん」って
色々と試しましたが見事完治はなく
アレルギー100%のまま大人に変身でした
前向きに生きよう「・・・・・」「まあね・・・ほんまか?」
世の中あまくはないぜ。コントロールが大変で・・。
薬が手放せないのに薬代に補助という物がない
そんで高い。時々いろんな人からきくと「あー喘息だったけど治ったよ」
「今は元気で何とかやってる」って聞くとうれしんだか
悲しんだかよくわかんないけど「ほーそうか」と他人事。
「先生なおるじゃん」って呟いたが「年取ったり体がしんどくなったら
元に戻るんだよ」ってふーんって思った。なんだかちょっとひどいけど
「同じジャン・・・・」ひどい喘息人間である
潜伏するんだこの持病・・・と思った。
純正100%のまま喘息が存在する現実
「前を向いて生きてこうから、現実をしっていきていこうか〜」
変化だった。前も後も何も考えたって思ったって現実が現実で
あるならそれをとりあえず回避してまた何とか一応元気って
花丸印があればいいじゃんってすごい最近感じる。
人並みに元気な姿だけでもありがたいので。
喘息ならんように元気な人は気をつけてほしんだな〜〜〜と
甘く見たら本当に行き詰まるよ、息詰まるよなんて
肺、気管を大切にと密かにタバコのすいすぎを何とか
まあすこしにしてほしいなと感じる自分だったりする
タバコなんて生まれたときからすったことない
子供のようなへんな大人になってしまった
健康オタク?と言われそうだが、なってる人から見ると
まあ〜色々あるんだよな世の中ストレス社会だからな〜
でもまできるだけ体を元気で生まれてきたのなら
大切にしてもらえたらなあと
おもって秋の花粉と格闘しつつとりあえず元気な
さいきんでした。
では

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