壊しても直せるといえ、遊び続ければ同じ玩具はいつか飽きる。 でもベアトリーチェにとってこの玩具戦人は飽きる事を知らない。いつもうずうず、わくわくする。
 何処から抉ろう、何処から砕こう。でもきっと何処であろうと、芳しい血飛沫をあげ、ベアトリーチェの望む悲鳴があがるだろう。 幾度繰り返しても何故飽きぬ。答えは判っていても、ベアトリーチェは自問せずに居られない。

「こういう嗜好はどうだ戦人ァ?」
 形だけはその通りに戻した戦人を、次に連れた先は私室のベッドの上。抵抗出来ぬように、戦人の両腕は魔法の鎖でベッドヘッドにくくりつけてある。 足に拘束はないが、ベアトリーチェが戦人の体の上に馬乗りになっているから、そもそも必要ない。

「今度は……何の真似だよ……」
 戦人の息は絶え絶えだ。何度も死と蘇生を繰り返されては無理もない。
「普段そなたが唯一安寧を得られる場所で壊すのはどうかと思ってなァ。魔女を認めぬそなたに安らかな眠りなど与えぬ、この場所で眠る今後無限の夜、 今宵の恐怖を思い出すがいい! くっひゃひゃひゃひゃ!」
「……好きにしろ」
「好きにしてやるわ。……ん?」
 ふとベアトリーチェは気づく。戦人が唇に歯を立て、かたく食いしばっている事に。それがベアトリーチェは不満だ。
「何を耐える? それでは悲鳴があがらぬではないか」
 ベアトリーチェが戦人の顎を掴み、下顎を引いて口を開けさせようとする。が、戦人は逆らう様にますます噛み締めるばかり。唇に血が滲んでも、だ。
「つくづく面白い男よの。そのような強情、すぐに無駄となると言うのに」
「……」
 どうせいつか激痛に屈して悲鳴はあがる。それが早いか遅いかだけなのにと、ベアトリーチェは嘲笑う。 しかし、挑発に乗ることなく、戦人はただ眼差しだけは鋭くベアトリーチェを睨み付けるだけだ。
「……ふむ……」
 その視線を受け流しながら、ベアトリーチェは思案する。常より赤く染まった戦人の唇。そうだ、今回はそこから戴こう。一気には抉らない。
 優しく柔らかく噛み砕く。
「……! っつ!」
 だが、ベアトリーチェが行動に移した瞬間、ベアトリーチェが戦人の下唇を、唇で挟んで吸った瞬間、戦人の口から驚きの声が洩れた。 気を良くして、ベアトリーチェは更に吸い付く。ほのかな鉄の味が甘くて、血を搾り取るが如く、強く吸いあげる。湧き出たそれは、舌を伸ばして舐めとった。
 戯れとはいえ、戦人の唇に触れるのは初めてで、あまりの温かさと心地よさにベアトリーチェも驚いた。私を殺す唯一の手段である、青い真実を奏でる唇。 なのに、否、だからこそこんなにも甘い。ベアトリーチェは時を忘れて甘美な感覚に酔いしれる。
 だから、ベアトリーチェは気づかなかったのだ。魔法の鎖の強度が落ち、戦人の腕が解放されたことに。

 気づいたときはもう手遅れ。

「!? ひゃっ」
 急に強く腕を引かれ、視界が一気に反転する。衝撃に目を回す間に、ベアトリーチェと戦人の体勢は逆転していた。
 違うのは、先はベアトリーチェが魔法で行った腕の拘束を、戦人は片手で行っている点か。拘束を解こうとベアトリーチェが掴まれた両手首に力を籠めるも、魔力を使わない自力では解けない。 ベアトリーチェが見上げれば、マウントポジションを取った戦人の、勝ち誇ったような笑みが目に飛び込む。
「いっひっひ。形勢逆転だな」
「……」
 魔法を使われたらひとたまりもないくせに。そう思わないでもなかったが、そもそもは油断したベアトリーチェに非がある。
「……まあ、そなたにしてはよくやったと褒めてやろう」
 ベアトリーチェが抵抗を止めたため、戦人が眉をひそめた。対してベアトリーチェは、負けを認めた、というよりは絶対優位の立場が情けを掛けてやる態度で不敵に笑う。
「殺されてばかり、死んでばかりではつまらぬだろう? 今のそなたに魔女を殺すことは出来ぬだろうが、一度くらいはそなたの好きにさせてやっても良いぞ」
「……は?」
「そなたの欲しい所をくれてやってもいいと言っておる。目か、耳か?」
  ベアトリーチェとしては、家具の思わぬ反撃に気を良くして気前良く提案したつもりだったのだが。
「お前な……」
 がっくりうなだれる戦人。彼の赤毛のつむじを見つめながら、ベアトリーチェは首を傾げた。
「なんだ? 勘違いするでない、一度くらい情けをかけてやるだけであるぞ?」
「いや……そうじゃねえ……」
「??」
 戦人は何度も何か言おうと口を開くも、その度に言い淀む。それを繰り返され、ベアトリーチェはつい短気を起こして言ってしまった。

「言いたいことがあるならはっきりせよ。女々しい男よ」

 それがいけなかったらしい。戦人の中のスイッチを押したようだった。戦人の眉がぴくりと跳ね上がり、 「おうおう、じゃあ遠慮なく言ってやろうじゃねえか」。呟く声がひどく低くて、ベアトリーチェは驚いて目を瞬く。
「あんなえろいキスの後に! この状況で好きにしていい、ってこたあつまり! 据え膳と見なしていいんだよな?」
「! なっ」
 圧倒的過ぎてつまらないから、という只の気紛れで、そんな気は一切なかったベアトリーチェは、突然のことに二の句を失った。 予想外の展開に、一気に顔が赤くなる。その反応が更に戦人を勢いづかせたらしい。
「復唱要求! ”右代宮戦人はベアトリーチェを好きにして良い! これはベアトの出した許可である!”」
「ふっ、復唱を拒否する! 妾はそのような意味で言ったわけでは……」
「ああ駄目だ全然駄目だぜ、仮にそうだったとしても! ”この状況で俺が誤解してお前を食っちまっても致し方ねえ”よなあ?」
「違う、そっちの意味の「食う」では……!」
 ベッドの上で男に馬乗りされた状況で「好きにして良い」と言ったのだ。客観的に考えれば、それは軽率過ぎたのか? 否、待て、でも……。
「魔女は約束は守るんだよなあ?」
「……っ」
「顔、真っ赤だぜ?」
「やっかましい……!」
「抵抗しねえのかよ? お得意の魔法でよ」
 問いながらも、戦人はベアトリーチェとの距離をどんどん詰めてくる。ベアトリーチェも腕に力を籠めて離そうとするも、 戦人の顔は、どんどん近くなってくる。
「魔法など使わずともっ……これくらい……っこんの馬鹿力が!」
 戦人の挑発に乗ってしまうベアトリーチェ。だが、それは同時に負けを意味していた。魔法を使わず、この状態で戦人から逃れるのは不可能だ。
 戦人が近い。思わず顔を横にそむけて逃げるも、戦人はそれを追ってくる。肌に息がかかる。閉じた目を、ベアトリーチェは開くことが出来ない。 だって、開けたらもうきっと――。

「ベアトリーチェ様ァ!」
「私たちも玩具であ、そ、……」
 場をぶち壊す黄色い声。同時に部屋に顕現したのは、ベアトリーチェの家具の煉獄の七杭のベルゼブブとアスモデウス。 他意のない登場であったことは、ベルゼブブの言葉が途中で停止し、2人が目を見開いてベアトリーチェと戦人を見つめていることが証明している。

「……」
「……」
 七杭もベアトリーチェも戦人も、全員がフリーズしたまま動けない。何秒経ったか、一番解凍が早かったのは、今来たのはまずかった、という事実に思い至ったアスモデウスだった。
「……あ、あ、今日はそういう嗜好なんですねェ、うらやま、じゃなくて、」
「お、お邪魔しましたァ!」
 七杭はあっという間に蝶にまみれて消えてしまう。
 変わらず停止したまま動けない2人であったが、そこでようやくベアトリーチェはこの場を逃げる方法を思い出した。後は一瞬。
「――もう良いわ」
 消え入る様な声で呟くと、ベアトリーチェは体に蝶を纏わせて、あっという間に戦人の前から姿を消した。後はただ、ベッドの上に戦人1人が残されただけ。

 だからベアトリーチェは知らないまま。
「……かっりい体……」
 戦人が自嘲するようにそう呟いたこと。悪逆非道の魔女が正しく女であるという認識は、戦人とベアトリーチェの関係性を大きく変える出来事であった。







窮鼠 魔女を噛む





 更にこちらは戦人が知る由もない話だが。
「お師匠様、妾、筋トレする」
「は?」
 後日、ベアトリーチェは突拍子もない発言でワルギリアを驚かせたのであった。