酔い潰れて爆睡する颱斗の介抱を聖に任せ、文弥が自室に戻ってきたのは夜もすっかり更けた頃。 部屋には文弥の帰りを待っていた霧子がいて、憂いの色を浮かべて文弥を見つめてくる。

「……もう、良いのですか」
「うん。将路くんから聞きたかった言葉も聞けた。颱斗と聖にも、言いたいことは全部言ったよ。だからもう、大丈夫」
 もう迷わない。
 文弥は霧子の座るベッドの隣に腰を下ろし、飾り気のない部屋の壁を見つめていた。最後に自分が言うべきことを口にするために。

「多分、明日……ううん、今日にでもあの人がまた来ると思う」
 あの人とは誰か、何をしに来るのか。言わずとも判っているのだろう。ただ静かに頷く霧子。
「……霧子は、将路くんたちと闘うことに異論はないの?」
「貴方が彼らと闘うと決めたのなら、私はそれに従います」
「二人を殺すかもしれなくても、構わない? 将路くんのことも、藍のことも、君は嫌いじゃないよね。特に藍とは仲が良かったじゃないか」
「……そうかもしれません。ですが、私にとって貴方以上の存在では有り得ません」
「それは、君がぼくのレイリアだから?」
 そう問うと、霧子が少し顔を翳らせたのが判った。我ながら意地の悪い質問をしたものだと思う。 けれど、気持ちを押し隠すのは止めようと決めたのだ。これは長らく文弥を捕らえ続けてきた疑念だから、霧子の口から答えが欲しかった。
「ごめんね。霧子が言った事を疑う訳じゃないんだ。……でも、やっぱり霧子がそう言ってくれるのは、君がレイリアだからだって、何処かでそう思ってる」
「……」
 霧子は少し笑った。それは誤魔化しの笑顔ではなく、自分の気持ちをどう表現すればいいのか判らずに、困って笑っているようだった。 文弥と同じように、霧子も自分の感情を言葉にするのは苦手なのかもしれない。 そう考えると、本当に自分は彼女を理解しなかったのだという後悔に捕らわれる。 自分勝手な解釈で、どれだけ霧子の気持ちを誤解してきたのだろう。数え切れない。
 途端、何だか温かな気持ちがさざなみのように文弥の胸に押し寄せて来た。衝動とはこのような感情を指すのだろうと実感する。抗えない感情の渦に誘われるまま、 文弥は体の向きを変えると、霧子の眸を覗き込んだ。 訝る気配は黙殺して、文弥は霧子の首の後ろに手をあてて引き寄せ、ゆっくりと唇を重ねた。
 ひんやりした感触が文弥の唇に伝わる。けれどその冷たさの中に篭る温もりは確かに感じられて、文弥は安堵した。

 暫くして唇を放し、目を開けると、放心したような顔をした霧子と目が合った。落ちる沈黙がちょっといたたまれない。文弥自身もこの後どう反応して良いか判らなくて、 結局、いつもの笑顔を貼り付けて何でもない風を装ってみた。
「びっくりした?」
「……とても」
 ようやく返ってきた返事は淡々としていたが、霧子がこれまでにない程動揺しているのは明らかだった。唇を手で押さえ、せわしなく瞬きを繰り返す。 思わず、文弥は笑ってしまった。可愛いと思った。年上の女の人(少なくとも外見は)に向ける言葉としては不適切な気がしたが。
 霧子はこんな表情も出来たのだ。きっと、文弥の知らない表情を彼女はもっと持っているだろう。

「貴方だけです、文弥」
 霧子は心持ち熱を持った唇から手を離し、それをそっと文弥の手に重ねた。
「……え?」
「私が貴方を好きなのは、確かに私の意志ではないのかもしれません。ですが、貴方だけです。貴方が私に全ての感情を与えてくれた。 貴方と会って、嬉しいと言う感情を知りました。貴方が何を望んでいるのか判らなくて悲しかった。貴方の望みに気付いてまた、辛かった。 そして、……貴方と判り合いたいと願いました。今、私は幸せです」
 何度も言葉を選びながら、それでも自分の気持ちを正直に届けようとする霧子の懸命さが伝わってきた。これほど真っ直ぐにひたむきに 感情を向けられたことなど、今までなかった。
「君の事を好きかどうか、今は自信がないって言ったけど」
 だから自分も伝えるべきだと思った。たどたどしくても良い、立派でなくても良いから、嘘偽りない気持ちを真っ直ぐに。
「でも、それは今までずっと霧子のことを知ろうとしなかったからだと思う。これから君のことを知って行って ……そして、君のことを一番判っているのはぼくなんだって思えるようになった時には、」

 その時には、きっと君のことを好きだと胸を張って言えると思うんだ。

 だから時間が欲しい。
 愛する人を愛しく思うための時間を、奪われる訳にはいかないのだ。 だってそれは、これまで何かに執着することなく生きてきた文弥が、ようやく出来た欲しい物だから。

 文弥の言葉を聴き終えた霧子が、晴れやかに笑う。
 じきに夜が明ける。けれどあと少し、このままでいたいと思った。






本編で不満だった事の一つに、フェザが臨終った後、「文弥は霧子を愛していた」と将路のモノローグがあったことがあります。
だってあれだけぎくしゃくしてたのにエロシーン経た途端それかよ! と正直ガクリ(修正版ではなくなってましたが)。

最期では「ぼくも(好き)だよ」と言ってましたが、正直あの時、文弥は霧子を好きになることは出来ていなかったと思います。
ただ誤解が解けた後、彼等に時間があったならば、時間をかけて文弥も霧子が自分に向ける感情と同質のものを持てたのではと。そう願いたいです。

ええ契約以外でもちゅーしーんが書きたかっただけですとも;
2006.5.29

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