藤井蓮が来てくれたというのに、玲愛はずっと言い知れぬ不安に襲われていた。蓮のせいではない。蓮と共に訪れた、否、正確には11年ぶりに帰ってきた神父への不安である。
 それを蓮たちに悟られぬ様振る舞うのに、玲愛はひどく神経を使った。トリファと蓮たちが教会を出てからも暫く、逸る鼓動が抑えきれない程に。

 だって、彼の声は日常が終わる音。あの人は私を死なせに来たんだわ。

 理屈じゃない。体を巡る血が、玲愛を構成する細胞の全てが叫ぶのだ。だから変えられない真実なのだとわかって、でも否定したくて。叫び続ける細胞を黙らせるように、 玲愛は丹念に体をスポンジでこすり続けた。

「玲愛?」
 不意に名前を呼ばれ、はっとして我に返る。そうだ、自分はずっと風呂場で体を洗い続けていたのだ。
「大丈夫?」
「うん」
「寝たのかと思った。あんまり長風呂だとのぼせるわよ」
 無意識ではあったが、時間にしたらかなり長風呂だったのではないか。リザの声は脱衣所から。玲愛を心配して様子を見に来たのだろう。その優しさが胸に沁みて、いたい。

 だってリザだって、もうすぐ私を日常から引き離すのでしょ? 私を死なせるでしょ?  そう問い詰めて、なじりたい。いっそ全部話してよと喚きたい。でもそうしたら、「ただの思い過ごし」という一縷の望みさえ潰える気がして。
「もうあがる?」
「……」
 玲愛は少し考えて、躊躇って、でも結局、素直に口に出した。
「まだあがらない。でもリザ、入って来て」
「え?」
「一緒に入ろ」

「久しぶりね、2人で入るのは」
 2人分の体重のおかげで湯船のかさが増し、玲愛の首元まで温もりが届く。
「久しぶりにリザのFカップが見たくなったの。相変わらずたわわに実って何より」
「また変な事言って」
 苦笑するリザの、湯船の波間から覗くそれは羨ましい程の豊満さで揺れている。
 普通、女のそれは加齢や授乳によって垂れると聞く。リザ程のサイズなら尚更。だが、目の前のリザのものは気配さえない。 リザは玲愛の母親ではない。授乳の跡がなくても不思議はない。でも、それこそがリザが普通ではない事の証拠に思えて、玲愛を苛む予感を確信に変えるようで、 玲愛は目を伏せた。
 そのまま、ゆっくりすがるように、リザに抱き着く。昔、よくこの胸の中で、子守唄と共に眠った。 頬に感じる、柔らかな胸の感触が心地よい。目を閉じたらリザの鼓動の音が聞こえて、玲愛はますます腕に力を籠めた。

 この音をずっと聞いていたい。
 母の傍で、その心音と共に成長する胎児の様にこのお腹へ帰りたいと、唐突に思う。おかしな話。私は彼女の子宮から産まれた訳ではないのに。

「わ、どうしたの、」
「リザ」
 戸惑う声は黙殺して、玲愛は名前を呼ばわった。
 ――お母さん。本当は呼びたいけれど、呼べばリザは悲しい顔をするから。だからせめて心の内で叫ぶ。
「リザ、リザ」
 ――お母さん。お母さん。
「大好きだよ」
 しなないで。
 どれほど叫んでも、終焉は確定事項。きっとリザも私も死ぬ。でもそんなの、私は嫌だよ。
 口に出来ぬ本音は胸に秘めて、でも、どうか伝わってと切に祈って。

 全てと言わずとも、玲愛の思いの片鱗はくみ取ったのだろう。リザの手が、優しく玲愛の背に回る。
「ありがとう。私も玲愛が好きよ」
 大丈夫。何も心配いらないから。そんな言葉は、リザの口から決して出ない。嘘になるからだと、玲愛は直感した。 あと少しだというのに、何も知らない振りを続けるリザを、責めることは出来る。
 でも、終焉まであとほんの少しの時を、優しい気持ちで過ごしたくて。喧嘩など、したくなくて。玲愛は何も言わず、ただ泣き縋る様にリザの胸へ顔を埋めた。


 お風呂から2人であがったら、蓮を送ったトリファが丁度戻って来た所で。
「私とのお風呂はあれ程拒むのに、なぜですテレジア! それほどまでに私が嫌いと!?」
「ごく単純に性別の問題だと早く気づいて下さい。ねえ、玲愛」
「というか、お風呂にそこまで固執する所がまず嫌」
「なんと! テレジア……! この11年という歳月があの愛らしかったテレジアをこれ程までに変貌させるとは! ああ神よ、」
 大袈裟に喚くトリファと、的確な突っ込みを入れるリザと、冷めた風を装う玲愛と。
 11年ぶりの再会とは思えぬ、淀みない遣り取り。どうか終わらないで。祈る気持ちが届かないことを、玲愛はよく判っていて、それでも尚、薄氷を踏む様な 脆い家族ごっこを続けたいと、祈り続けるのだ。




Verweile doch











2009.8.24

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