「今日ようちえんで、お母さんを描きなさいって言われたの」

 幼稚園から帰って来たテレジアは、その一言に恐る恐ると言った調子で丸まった画用紙をリザに差し出した。「だからリザを描いたの」。 続く言葉は呑み込まれたが、テレジアが欲する言葉は明白だった。

 嬉しい、ありがとう。
 私もテレジアの事を娘だと思ってるわ。

 けれど、それは決してリザが発する筈のない言葉だ。 でなければ、まだ幼いテレジアに嘘をついて親子として接していたし――テレジアが生まれた時から傍に居るいるのはリザなのだからテレジアは疑いもしない筈だ――、 そもそも「リザ」と名前で呼ばせたりしなかっただろう。
 そうでなかったのは、ひとえにリザの強い意志が働いていたからだ。

 リザの顔が強張っているのにテレジアは気付いただろうが、その意味まで察せたのは傍で見ていたトリファだけ。 リザは屈んでテレジアに目線を合わせる。表情はもういつもの穏やかなそれに戻っている。
「テレジア。私の絵を描いてくれるのはとっても嬉しい。でも、それをお母さんとして先生に見せたのはいけない事よ。 だって私はテレジアのお母さんじゃないの。だから先生に嘘をついてしまった事になるでしょう?」
「……」
 子どもは聡い。リザが塗り固めた虚言に拒絶の意志を感じ取ったのだろう。テレジアは手を下ろし、ごめんなさい、と呟いて画用紙を鞄の中に押し込んだ。 リザはその様子を最後まで見届けることなく、逃げるように部屋を出て行く。

 トリファが俯いたままのテレジアに近付いたのは慰める為だった。だが、顔を上げたテレジアは唇を噛んだまま何とも言えない表情をしていて、 口から出かけた言葉は喉に戻ってしまう。

「テレジア?」
「なかない。だって、リザのほうがなきそうだったよ」
 子どもが聡いのではないのかもしれない。きっとテレジアが聡い子なのだろう。最近では、まだ話していないトリファの過去の罪業やテレジア自身の役割でさえ 何となく感じ取っているように思えるのだから。


 予想通り、リザは礼拝堂に佇んでいた。まさに長い付き合いである。彼女の行く先など見当はすぐついた。
 トリファの入室に反応も示さず、リザはただ、見慣れているであろうステンドグラスの模様を眺めている。
「貴女らしくもない」
 わざと音を立てて扉を閉め、リザとの距離を縮めてゆくトリファ。
「テレジアが悲しんでいましたよ。貴女に何を期待していたかくらい判るでしょうに」
 コツン、コツン。トリファの足音だけが響く。
「母親呼ばわりされるのがそんなに嫌ですか。貴女とテレジア、傍目には母娘にしか見えないのに?」
 トリファの言葉にもだんまりを決め込んでいたリザが、此処で初めて振り返る。テレジアがいないため、もうリザは表情を取り繕いもしていなかった。 憤怒と悲哀の混じった凄まじい形相で睨みつけられる。
「貴方こそ、私に何を言わせたいの? 本当に嫌な性格をしてるのね」
「おお恐い。そんなに睨まないで下さい。私は気が弱いんですから」
「……ぬけぬけと」
 普段の聖母の様な雰囲気とはかけ離れた表情で、短く吐き捨てるリザ。 此方の挑発に簡単に乗せられる様が愚かしく、その愚かささえもいとおしい。
 何より、普段の面影もなく、感情のまま振る舞うリザの姿は最近は特に中々見られるものではなく、つい調子に乗ってしまうのも無理からぬことだった。
「思うのですがリザ。そんなに自分の腹から産まれた子が愛しいのなら、今から子を成す事も出来るのではないですか。貴女さえ良ければ協力しますよ?」
 優しい声色をリザのすぐ耳元から流し込み、背後から伸ばした手をリザの細いそれと重ね合う。 ともすれば恋人の睦び合いともとれるような所作だったが、勿論それは錯覚だ。当のリザは心臓を掴まれたかのように、息を詰まらせ、全身を強張らせている。
 かろうじて口が利けただけで僥倖だというように。

「二度と言わないで。冗談でも許される事とそうでない事があるのよ」
 完全に核心を突かれ、リザはもう敵意を表す事も忘れたようだった。何とかトリファの手を振り払い、彼に背を向けて距離を取るので精一杯。
「失礼しました。ですが気を悪くしないで頂きたいのです、リザ。ただ、私は貴女が不憫でならないだけなのですよ」
「……不憫ですって?」
「違いますか、そうでしょう? これまでの五十年、そしてこれからの十余年、騎士団員の面々は老いぬ生を退屈こそせれ、 暇潰しとして相応に謳歌している。多少の差はあれど、ですが、貴女は違う。術を掛けられた我が子は救えず、聖櫃の為に 孫を育て、曾孫を育て、五十年前から続く罪業の連鎖を目の当たりにし続けている。
 確かに貴女が奪った幾千の命に対する罰としては相応しいのかもしれない。ですが、それは他の団員とて大差ないこと。 にも関わらず貴女に課せられた罰だけが重過ぎる。なんという不公平。そうは思いませんか?」

 リザからの返事はない。
 長いトリファの口上その何処にも、否定出来る要素がなかったからだ。ただ、此処まで言われて尚、トリファの過去に言及しないリザの心根は 成程シスターに相応しいのかもしれなかった。尤も、騎士団員には全くそぐわない性情だが。

 何も言わず、部屋を出て行こうとするリザ。だが扉を開けたところで振り返り、自嘲するように呟いた。
「貴方と私が交わったとして、ヒトが生まれる訳がないじゃないの」

 ――産み落ちるのはきっと、汚物にまみれた罪悪の塊。


 バタン、と大きな音と共に扉が閉じられ、礼拝堂は無音となる。残されたトリファは短くない時間、ただじっと立っていたが―― リザの捨て台詞を反芻し、理解し、咀嚼し終えると、こみ上げてきた笑いを堪えるように手を口に当てて、腰を折った。

「ふ、ふふふふふふ。確かに? 違いない。貴女と私の冒涜してきた魂の個数を考えれば、人間と同じ方法で魂を生み出せる訳はないでしょうねえ、くくく。 でも、本当にそうなるか試してみるのもいいかも知れませんね? リザ・ブレンナー?」

 礼拝堂にはあまりにも不釣合いな嘲笑は、暫く途絶える事なく響き渡っていた。












 リザからの返事はない。
 長いトリファの口上その何処にも、否定出来る要素がなかったからだ。
 トリファの口上が長すぎて聞いていなかったからだ。「年々、話がくどくなってるのよ。独り言も増えたし」。

 公式beforestoryも、リザはあんまりトリファの話を聞いてないと思う。

2008.3.12

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