嗚咽、断末魔、怨嗟の言葉。それらが幾つも重なり合った奇妙な旋律が耳に届く。
 むせかえるように強い香りは嗅ぎ慣れた鉄のそれ。
 思わず閉じた手のひらは、爪先までも濡れていて握り締めることさえ叶わない。

 目を開けては駄目。


 リザは強く念じた。視覚を除く全ての感覚が周囲の状況を的確に伝えているではないか。目の前で何が起こっているか、もう目を開けずとも判る筈。 なのにリザの意思に逆らうように、目は開いてしまうのだ。夥しい量の血、肉、骨、魂が山となって積み重なって。
「ああああぁぁぁぁぁッッ!!!!」
 絶叫するリザの耳元に、襲い来るのは最後の悪夢。この惨状に不釣合いな優しい声で甘言を囁くのはあの――!




「…ザ? リザ?」

 違う音色の声がする。 失意の底に沈んだリザを引き揚げる優しい声。それにすがるように、リザの意識が現実へと浮上する。
 五歳になったばかりの曾孫が、心配そうな顔で此方を覗き込んでいた。そこに一切の邪気はない。

「リザ、なきそう。こわい夢、見たの?」
 布団の中からもぞもぞと起き出したテレジアが、リザの頭を小さな手で撫でてくる。 この子さえも――この子の優しささえも利用しているのだと、自分の浅ましさに反吐が出る思いだった。
 その思いは勿論、顔には出さず、やんわりと手を下ろさせただけだったけれど。
「いいえ、大丈夫よ。さっきテレジアが見た怖い夢が、今度は私に移っちゃったのかしらね」
 普段はリザとテレジアは別々の部屋で寝ている。だが、夜中に恐い夢を見て眠れなくなったテレジアがリザを部屋に呼び寄せたので、一緒に 眠っていたのだ。時計を見るとまだ日付を越えたばかりの時間で、就寝してから少ししか経っていなかった。
「……ちょっとまってて、リザ」
 神妙な顔をして頷いたテレジアは、ぴょこんとベッドから飛び出すとそのまま部屋を出て行った。 トイレでも行ったのだろうか? と不思議に思う間もなく、遠ざかった足音が再度近づいてくる。ただしテレジアのものだけではなく、それは二つ分に 増えていた。
 開いたままだった扉の向こう、テレジアと、そしてトリファが姿を見せる。トリファもテレジアの部屋にリザがいるとは予想外だったのだろう、 細い目が僅かに見開かれる。リザも咄嗟に言葉が出ず、視線を逸らしてしまう。

 ……リザとトリファの関係は非常に微妙だ。テレジアと三人、同じ屋根の下で暮らしているが家族ではない。 目的を同じとする同志ではあるのだが、それも表向きと言えた。少なくともリザはかの首領を崇拝し復活を祈っている訳ではないのだから。
 まだ物の判断のつかないテレジアには一切を明かしていないので、彼女が不安がらぬ程度に仲の良い振りをする事は、リザとトリファの暗黙の了解と なっていた。

 気まずい沈黙は、そうと意識しないテレジアによって破られる。
「神父さま。今日はみんなでねよう?」
 絶句するリザとトリファを余所に、テレジアは手を広げて名案だとばかりに一生懸命説明を始める。
「わたしが見たこわい夢が、今度はリザにうつったの。だから三人でねたら、きっとリザもこわくないとおもう」

「それは、今度は私が怖い夢を見るって事じゃあないですかテレジア?」
「うん。でも神父さまは平気でしょう?」
「そんなはずありません。私は気が弱いから、そんな夢を見たらうなされるどころじゃ済みませんよ」
「そうねえ、そのまま起きて来なくなったりして?」
 いつも通り茶々を入れると、トリファはさめざめと泣き真似をして、リザとテレジアがくすくすと笑う。 テレジアが生まれてからは変わらない、いつもの遣り取り。いつも通りの仲良しごっこ。
 最近では、この終わりのないごっこ遊びが、真似事か真実かさえ判らなくなっている。

「ね、きまり。ほら、ふとんに入って」
「はい、はい。テレジアは本当に優しい子ですねえ。これでリザも安心して眠れますよ、ねえ?」
 穏やかな声音で同意を求められる。どうやらトリファはごっこ遊びに最後まで付き合うらしい。
「あ、ちがうの。わたしと神父様がはしっこで、リザが真ん中なの。リザ、はやく」
 当然のようにテレジアを中央にするつもりが、本人に拒まれる。リザとトリファが隣でないと駄目という事だった。

「狭いね」
 布団の中に潜り込んだテレジアが嬉しそうに笑う。テレジアでさえそうなのだから、間に挟まれたリザや大柄なトリファは言わずもがな。
 左手を握ってくる曾孫の小さな手がいじらしくて悲しくて。そして右肩に感じ取れる温もりに、それでも遠い心の距離を思った。


 悪夢がトリファに移るなら、今度はリザは何の夢を見るのだろう。
 明日の夢が見たいと思った。今この瞬間の続きでいい。テレジアが居て、トリファが居て、私が居る。今日と変わらぬ穏やかな日常。けれどそれは幸せな夢なようでいて、 悪夢より性質が悪い気がした。

 だってそれは、必ず最悪の形で終わる現実だと知っているから。






2008.3.12

BACK