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| 岩里祐穂 |
| 1957年12月3日生まれ。新潟県出身。中央大学文学部史学科卒業後、シンガーソングライターとしてデビューしたのが、この世界に入るきっかけ。作詞家としては、‘83年に、堀ちえみのシングル「さよならの物語」でデビュー。ほかに作曲家としての顔を持つ。今井美樹のほか、中村あゆみ、アン・ルイス、中川勝彦、中森明菜、渡辺満里奈、小泉今日子、浅香唯、中山美穂、金子美香、THE
TOPSなど、そのほか多数のアーティストに作品を提供。 |
| 絵や文章で、自分を表現することが好きだった。 私は小さい頃は結構おてんばな女の子で、活発まではいかないですけど、失敗しても肩をすくめて笑っているような、お茶目な(笑)子でした。2人姉妹で姉が1人いて、小さな頃は、その姉と一緒にピアノを習いに行っていたんです。姉は譜面を目の前においてキッチリと手を動かして弾くタイプで、私はどちらかというと、耳で覚えて、譜面を見ないで勘でパーッと弾いちゃうタイプ。そういう意味でも、同じ姉妹とはいってもそうとう性格が違いましたね。 その頃から、とにかく音楽は大好きでした。特に唄うことが好きだったんです。お風呂場でも階段でも玄関でも、どこででも唄っていましたから、ご近所では美空ひばりさんのように有名なくらい(笑)。その他にすきだったのは、イラストを書くことですね。ノートの端とかに小さい頃って、みんなよく落書きをするでしょう?そんな感じで、筆箱とか下敷きとか、どんなスペースでもあれば絵を描いていました。その頃は、特に意識して描いていたわけではなかったんですけれど、いま考えると、それも“自分を表現したい”という気持ちの表れだったかもしれませんね。ですから作文や読書感想文は得意な方でした。“書く”ということは私にとって、ごく自然なことだったんです。 音楽は高校に入ってから始めたんです。ずっとピアノを習っていましたのでクラシックはやっていたんですけれど、やはり年頃ですからポップスをやりたくなって。当時はギターが流行っていたんですよね。それでギターを欲しがっていたら、母が高校の入学式の日に、お祝いとして買ってくれたんです。でも結局、ギターの方は手先が不器用だったもので(笑)すぐ挫折して。でもそのおかげで私の場合、自分を表現する時は、楽器を通してではダメだということに気づいたんです(笑)。 それから同じ学校の音楽の好きな友達と、私がピアノを彼女がギターを担当して、2人で歌を唄うというグループを組んで、それで、毎月1回ぐらいのペースで新潟市のホールで新人向けに開催していたコンサートにときどき出演していたんです。当時は、その友達が詞曲を書いていました。私の方は、とにかく“唄うこと”が好きで音楽をやってましたので、まだ自分で詞曲を書こうとは考えていなかったんですね。そのグループは、高校2年から始めて卒業するまでの2年間続けていました。 大学に入学してからは、やっぱり軽音楽のサークルに入ったんですけれど、友達の影響もあっていろいろな音楽を聴くようになって、ある時、ただそれまで綺麗に唄っていた自分の声がイヤになったんです。それで声を変えようと、コンパでお酒をたくさん飲んでノドを潰そうとしていたら、どんどん歌がヘタになってしまって(笑)。 サークルに入ってからも、詞曲は全然創っていなかったんです。心の中ではずっと何かを書きたいと思っていて、そういう気持ちをずっと暖めてはいたんですけど書いてはいなくて。それが20才になった時、ある日急に頭の中にメロディが浮かんできて、初めて詞と曲を書き上げたんです。 大学生活での挫折感が、私に詞を書くきっかけを作ってくれた。 あとになって、自分でもどうしてあのときに急に詞・曲を書き出したのかを、自分なりに考えてみたんです。それはきっと、高校まで新潟で伸びやかに育った私が、大学で東京に出てきて一人暮らしをして、その生活の中で大学にうまく馴染めずに、初めて挫折感を味わうという経験をしたことが、大きく影響したからだと思うんです。軽音のサークルの仲間とは、共通の趣味がありましたので友達はたくさんいたんですけど、クラスにうまく馴染めなかったんです。別に何を失敗したわけではないんですけど、いつも一人でいることを余儀なく強いられてしまう状況から大学生活が始まりましたので、そこで、“寂しい”とか“一人ぼっちだなあ”という感情を、初めて覚えたんですね。そういう人間関係の中で、それまで知らなかった色々な感情や、ただ自分の心の中で“あなたのことを快く思っているわ”だけでは気持ちが通じあえないものなんだということを知って、すごく“言葉は重要なんだ”ということを感じましたし、その時に“想い”を勉強したというか、感じたのかもしれませんね。 大学時代は、けっきょくサークル以外ではあまり友達はできなかったんですけど、今こういう「作詞」という仕事をしてみて、改めてあの時期に“生きていく上での自分の気持ちの基礎が出来上がったんじゃないかなと思うんです。そう考えてみたら、なかなか挫折することも“いいかな”(笑)なんて思ったりして。挫折感もないと、色々なことを、改めて考えるきっかけをつくってくれることもないわけですからね。 そうしていくつか詞曲を書きためて、大学を卒業してから“いわさきゆうこ”という名前でシンガーソングライターとしてデビューしたんです。でもアルバム1枚出してみて、唄うことが好きで歌手になりたかったはずなのに、意外と自分が唄うことが好きじゃないというか、人前で唄うことよりも作品を創ることの方が、より自分には向いているような気がしまして。それで、「歌手をやめて、作詞・作曲をするスタッフの方に回ろう」と自分の中で決めたら、すごく気持ちがラクになった記憶があります。 それから、歌手をやっていたときに知り合った人を通じて詞曲を書くようになって、その“いわさきゆうこ”の名前で一番最初に書いた曲が、麻倉未稀さんの「黒いパンプス」というシングルになりました。それから除じょに仕事が入ってくるようになりましたので、翌年から、「これから本格的に作家になるわ」(笑)という旗揚げの意味を込めて変えた名前が、現在の“岩里祐穂”。その名前での最初の曲が、堀ちえみちゃんの「さよならの物語」というシングルです。その頃は、詞と曲の両方を書いていて、友達と一緒のペンネームで創った曲に私が詞をつけるというやり方をしていたんです。そのスタイルは4年ぐらい続けましたね。ですからキャリアとしては7年ぐらいあるんですけれど、そのうちの4年間ぐらいは詞曲の両方をやっていましたので、“作詞家になった”という意識は、そんなに長くないような気がします。 そういうやり方で仕事をやってきて、4年ぐらいしたところで、その友達と「そろそろ独立して仕事を始めようか」という話になって、それで私も、「じゃあ、これからは作詞の方に専念しよう」と思って、自分の中で仕事に対する気持ちの仕切り直しをしたのです。美樹ちゃんと知り会ったのは、ちょうどその頃です。 美樹ちゃんとの出会いと「retour」の詞にこめた想い |
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