興安丸Koan maru
興安丸(鉄道省:7080総トン)
満州事変後の関釜航路需要増大を受けて鉄道省が建造した連絡船「金剛丸」型の2番船。最大23ノットの性能を誇るが、当初から国有だったのと最重要路線専用だったことで、最後まで軍の管理下に入らなかった。戦後の引揚輸送では「高砂丸」とともに終末期まで中心的役割を果たし、その後イスラム教徒の巡礼船に転身。1970年引退し惜しまれながら解体され、備品の一部が各地に現存する。
Koan maru (Railway Ministry, 7080grt) civilian transport
Completed in Jan 1937.
Survived war and sold for scrap in 1970.
<作例について>
引揚輸送に従事していた1950年代初期の状態で、当ページ掲載作例では最も後の時期、「岸壁の母」の時代です。当時は鉄道省から朝鮮郵船に移籍しており、ファンネルマークが変わっています。
Model: Koan maru in early 1950s. Loa=191.5mm.