鹿野丸Kano maru

鹿野丸(国際汽船:8572総トン)

 国際汽船が建造した2形式目の高速貨物船で、ニューヨークライナーの標準的サイズ(Lpp450ft)を確立した。姉妹船「小牧丸」とは細部の相違が多い。太平洋戦争では海軍運送船として行動したが、42年7月29日キスカ港外で米潜「グラニオン」の雷撃を受け航行不能となり、港内に曳航されたが以後の空襲で全損となった。なお「グラニオン」は本船の反撃で撃沈されたといわれており、艦長の遺族を中心とする探査チームが2006〜7年に船骸を発見撮影している。

Kano maru (Kokusai Kisen, 8572grt) IJN Aux. Transport
Completed in Aug 1934.
Torpedoed on 29 June 42 off Kiska by USS Grunion (SS-216) and towed to harbor but later abandoned.

<作例について>
 米国の「グラニオン」船骸探査プロジェクトに合わせて製作。最終状態を想定し、積荷の舟艇4隻と水上戦闘機1、回収した水上偵察機1をのせています。舟艇の搭載方法は2番船倉上横置きが正しいようです。この作例は2008年1月、探査チームの日本側スタッフ岩崎裕氏の手で艦長遺族に寄贈されました。

Model: Kano maru in July 1942. Loa=208mm.



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