K.OKADAワールド・入口
2010年1月17日に開催した、私の作曲出演した、JA香川県主催の、朗読ミュージカル「自然とふれあう仲間」は無事に終わりました。
が、香川県庁の依頼で、
2007年10月14日(日)の栗林公園庭園コンサート
にて、
ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園 OP.111」(全18曲)
を初演した当時から、この作品のCD化を、依頼されていましたが、CD収録の優れた技術者が、高松にいらっしゃらないことから、そのままになっていましたが、いろいろな活動を通して、
共演者や、その収録をして下さる方と出会い、実現することになりました。
つまり、JA香川県の朗読ミュージカルが終わってすぐの、2010年2月7日に、東京の某音楽事務所社長の、アマチュア演奏家の親友の協力で、高松市の「studioSUMUS」で、共演者とともに、
その第一弾のレコーディングが終わり、今年2010年の5月の連休明けに、私の自作自演CDと楽譜が、東京、大阪と、高松で、同時発売されることになりました。
自作自演の演奏経験のない録音技術者に収録してもらうほど愚かなことはないので、私の自作自演のCD収録が出来るほど、ピアノ演奏や作曲をしたご経験のある
録音技術者は、21世紀になった今日でも、残念ながら、香川県には一人もいませんでした。
が、今回は全く違ったアプローチで、私と接点が出来、実現することになりました。
日本各地に、和声学と対位法に基づいて作曲をきちんとしたり、ライブ演奏の素晴らしい方はたくさんいらっしゃるのですが、それを、CD等に収録することも、重要な芸術行為だと私は
思っていて、その部分の優れた人材が、今でも、東京に一局集中していることが明白になりました。
この部分が解消されて、地方都市(もちろん、大阪も地方都市ですよ。)から正しい形で音楽芸術作品が発信出来るには、最低でも、まだ、10年以上は必要な状況ですね(笑)。
東京からいらっしゃった(ということは、日本全国どこかのご出身の方です。)、録音技術者には、高い楽曲解析能力と同時に、讃岐うどんが好きでいらっしゃることが、
絶対条件でした(笑)。が、加えて、高松に出来た、いい録音スタジオもありましたので、とても気持ちよく収録出来ました。
ただ、一度にいろいろとありましたので、今しばらくは休憩したいと思っているところです。
さて、今回の、私の、自作自演のCD発売のコンセプトは明確で、私の生まれ育った香川県のPRです。
私の自作自演集の第一弾から、香川県庁の全面的なバックアップをいただき、香川県を全国に音楽でPRする内容にしています。第一弾には、下記3曲を収録しました。
(発売の2010年の5月の連休明けになれば、こちらのホームページにも、収録時の動画等を、掲載いたします。)
岡田克彦作曲;ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園」 OP.111(全18曲)
〔ピアノ;岡田克彦 西谷智英美の語りつき〕
岡田克彦作詞作曲;ソプラノとピアノのための「同行二人」 OP.114
〔ソプラノ・語り;西谷智英美 ピアノ;岡田克彦〕
せとちとせ作詞作曲、岡田克彦編曲;さぬきブギウギ
〔ボーカル;せとちとせ ピアノ;岡田克彦〕
こういったシリーズ提供の鉄則ですが、第二弾を先に予定してから第一弾の収録に入らないといけません。
なぜなら、第二弾は第一弾の二番煎じだ、と論評する、音楽評論家ども芸術ヤクザのやり方を、私は、東京でいろいろと活動していた経験で、よーーーく、知っているからです。
第二弾には、香川県を代表する偉大な文化の讃岐うどんを歌った「製麺所の歌」OP.134を入れる予定で、既に、その作詞作曲、練習も終わっていますので、また、第一弾発売後、
すぐに、第二弾を出す予定にしていますので、是非、お楽しみに!
まあ、この程度のキャパシティーのない人が、CDを収録、発売することがあってはならないのですけどね(笑)。
販売価格は、所要時間1時間のCDアルバムは、東京での標準価格が2000円なのだそうですが、私が生まれ育ち、現在住んでいる、四国高松は、讃岐うどんも安いのがあたり前です
ので、1000円(消費税は外税)にしていただきました。
さて、この、トップページのBGMは、私の作曲した、ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園」 OP.111(全18曲)の第17番の『家路』です。
私自身の作曲したピアノ小品では、この作品が一番気に入っています。
早稲田大学政経学部1年当時、私が、フォーレの室内楽曲と出会ったことがきっかけで、室内楽曲にどっぷりと漬かり、以降は作曲も室内楽作品が多くなりましたが、1994年に母の介護で
高松にUターンしてから、母が亡くなった2006年までの12年間、母の中では私はずっと子供のままで、3歳の時から石井ルリ子先生についてピアノをやっていた頃のままでしたので、
ピアノ曲を演奏したり作曲することが増えました。
このピアノ組曲は、母が亡くなって一周忌を迎えた後、母と一緒に行った「栗林公園」の思い出をベースに作曲しました。
また、「栗林公園」で遊び疲れて、番町にあった自宅までの帰り道のことは、忘れられません。
なぜなら、自宅に帰ると母が必ず夕げの支度をして待っていてくれたから、そして、もうそのようなことはなくなってしまったからです。
この入口の背景の譜面は、私の大好きな、J.S.バッハ作曲「平均率 第1巻 24番 BWV.869」の、ロ短調フーガ、です。
下記から、私のプロフィール、作曲作品一覧、新作、直近のコンサ−ト情報やブログをご覧いただいたり、BGMを止めてクリックすると、これまでの私の自作自演や室内楽演奏の一部
のライブ収録音楽をお聴きいただけます。今般、発売される自作自演CD集に比べると、大した演奏ではありませんが、お楽しみ下さい。
また、日刊ブログ新聞「ぶらっと!」に参画し、私が生まれ育ち、現在住んでいる、四国香川県高松市の歴史や方言、四国霊場八十八ヶ寺、弘法大師、源平合戦や、讃岐うどんに関する
執筆記事も書いていますので、お楽しみ下さい。
ご覧になられた後、ブラウザの戻るボタンでお戻り下さい。
私は、穏やかな瀬戸内海に面した香川県高松市で生まれ、幼少期を過ごせた素晴らしい環境に、深く感謝しています。
というのも、作曲の際、一番最初に浮かぶ、モティーフの原点は、幼少期を過ごした時の、物理的、精神的な環境で100%決まってしまうからなので、私の作風は、
こうした環境と不可分だからなのです。
私が、3歳の時から、ピアノのレッスンを受けられ、作曲も出来るような環境を築くことに心を砕いてくれた、母・岡田直子、には深く感謝しています。
それだけに、1994年に、母が突然肝硬変で倒れた時、早稲田大学政経学部を卒業して、東京で就職した住友信託銀行で15年間働いていた私は、母の介護は、
自分がやらないと絶対に後悔すると思い、転職し、四国・高松にUターンしました。
しかし、母は、2006年9月19日に脳幹部脳内出血のため、香川県立中央病院脳外科集中治療室で、眠るように逝去しました。
高松の実家で、母に私が付き添って暮らせた期間はわずか12年でした。
が、この12年間のことを私は一生忘れずに、寂しくても、後悔せずに、生きて行く事が出来るようになりました。
ピアノに向かって、母が好きだったショパンの幻想即興曲、等、を演奏するたびに感じること・・・それは、いつも、母が、私の指が押さえるピアノの鍵盤の下にいる、
ということです。
下記写真は、在りし日の、江戸千家不白流の茶道が趣味だった母と私の写真です。
順に、高松市公渕森林公園でのお花見、栗林公園の日暮亭でお茶をいただいた時、香川県民ホールで開催された、オペラ「カルメン」を見に行った時、玉藻公園で開催されたお茶会に行った時、
東京六本木サントリーホールのあるアークヒルズで撮ったもの、坂出市の瀬戸大橋公園のゴンドラに一緒に乗った時、です。
亡き母のことを生涯、忘れずに、私は穏やかに生きております。
いつか私自身も母のいる所へゆくまで・・・・・。
下記掲載の、高知県室戸にある、19歳当時の悟りを開いた時の弘法大師像の目は、遠い空を見ています。
出身地の香川県で1200年前に讃岐うどんを始めて下さった、弘法大師の目は、1200年後の私達を見ていたのかもしれないですね。
カメラ目線でないことだけは、明白なことです(爆)!
弘法大師は、私たち香川県民の誇る偉人です。1200年という長い歴史の観点に立って物事を見ると、昨今の、拝金主義やM&Aの流行、不景気やデフレ基調への変換等の、
下界の出来事は、大した出来事でもなさそうです。
その証拠に、いくつかの高松市の地場企業が倒産してなくなっても、私の住む香川県高松市内の讃岐うどん店(「はなまる」と「はすい亭」は含みませんよ〔笑〕。)は、
素晴らしいかけうどんが、大体、150円〜200円 で、客足が途絶えないのです。
BGM:ドビュッシー「夜想曲」より、『雲』
下記の五色台からの美しい瀬戸内海の眺め
をクリック、総合入口へご入室下さい。
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