K.OKADAワールド・入口
ご来客数;
[SINCE 2001.3.16.]


Katsuhiko Okada (Composer) Official Web Site
楽器演奏仲間達との恍惚、不安、熱き心を忘れずに
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せとちとせ作詞、作曲・岡田克彦編曲;讃岐ブギウギ
〔ボーカル;せとちとせ ピアノ;岡田克彦〕
私のホームページ入口に添付したBGM動画は、
2010年2月7日(日)に、東京からいらっしゃった
親友のクラシック音楽事務所「アミュフィ」社長のプロモートで、
高松の「studio SUMUS」でCD収録した時のリハーサル動画です。
ライブ臨場感を醸出するために、ミキシング等の小技一切不使用で、
クラシックの室内楽演奏収録と全く同じスタイルで収録しました。
この程度のアレンジは、10分程度で出来ますので、通常「朝飯前」、
と言うのでしょうけど、うどんの故郷の、香川県高松市在住の私は、
「朝うどん前」に出来ました(笑)。
モーツァルトいわく、「作曲は油のように流れるように」
でも、私は言いたい。「作曲は讃岐うどんのように流れるように」(爆)!
曲目解説と歌詞カード
2008年4月19日『第1回 おいで MY フェスタ』チャリティコンサート にて初演
関連、説明の文章 → 『香川県地域活性化プロジェクト理事長のF君との出会い』
BGM動画のスウィッチを切って、
下記をクリックすると、演奏動画を、
ご覧、試聴いただけます。
まず、ご試聴いただきたい私の演奏は、
常連の皆様からリクエストの多い、
今年が生誕200年の、
ショパン作曲の、「幻想即興曲 OP.66」です。
2000年4月9日、早稲田大学政経学部経済学科、故.堀家文吉郎教授研究室で一緒に勉強し、
卒業後、日経新聞に就職し、日経新聞岡山支局長に赴任してきた、平野憲一郎君が、
岡山ロータリークラブの皆様と岡山市デビッド・ホールにて開催してくれた、
サロンコンサート で演奏した時の動画です。
ショパン作曲;幻想即興曲 OP.66
(ピアノ;岡田克彦)
次に、ご試聴いただきたい、私の作曲したピアノ小品は、これも、
2000年4月9日、早稲田大学政経学部経済学科、故.堀家文吉郎教授研究室で一緒に勉強し、
卒業後、日経新聞に就職し、日経新聞岡山支局長に赴任してきた、平野憲一郎君が、
岡山ロータリークラブの皆様と岡山市デビッド・ホールにて開催してくれた、
サロンコンサート で演奏した時の動画です。
この作品の正式名は、プレリュード第一集12番(OP.18-12)で、
私自身の生まれてはじめての大失恋のあと、
新宿歌舞伎町を飲み歩いてベロベロになっていた時に、
夜鳴きソバのチャルメラが聞こえて来た時に浮かんだ、
退廃的な作品なのです。
が、音楽は不思議ですね。
この作品が大好きだと言ってくれるピアニスト仲間が一杯いたので、
東京では何回もリクエストされた作品です。
今は昔の、1977年、
20歳当時の私が失恋して寂しくてたまらなくて書いたピアノ小品です。
この作品を作曲家の私のホームページ入口に掲載した理由は明白で、
年を重ねて、立派な大人になっても、音楽のひらめきの根底が、
全く変わらないような作曲家が本物だからです。
年収、社会的な地位や利害関係で作風が変わるような皆様は、
作曲家ではなく、作曲屋(つまり、ただの商売人)なのです。
まあ、それ以前に、20歳の皆様は、この程度の作品は、2,3分で、
書けないと、作曲家として、お話にならないのですけどね(笑)。
私のプレリュード第一集 OP.18(全34曲)は、一年〔のべ3ヶ月〕くらいで
完成してしまいましたので、作曲能力は、ごくごく普通です。
が、拝金主義者に、私の作曲作品を聴いてもらいたくありませんので、
拝金主義者は、とっとと、出て行ってくださいね(笑)。
岡田克彦20歳当時作曲;チャルメラの響く夜
岡田克彦25歳当時作曲;点滴の詩(うた)
さらに、岡山のファンの皆様が、2001年1月31日に、倉敷御園旅館で開催してくれた、
自作ピアノ曲
中心のサロンコンサート「岡田克彦の世界」 で演奏した、
25歳当時、住友信託銀行松山支店財務相談課在勤中に、退職金集めの
仕事の過労から、急性盲腸炎になってしまい、手遅れのため、1ヶ月ほど
入院した時に、その後半、暇だったので、ベッドの上で作曲出来てしまった、
組曲「病床にて」OP.55の第2番の『点滴の詩(うた)』、です。
この作品は、住友信託銀行内でも、いろいろと評判になりました。
というのも、当時、松山市正円寺町にあった、独身寮の部屋が広かったので、
私は、持っていたアップライトピアノをグランドピアノに買い替えて、
お部屋に置いていた上に、毎朝6時に起きて、J.S.バッハの平均率を
かたっぱしから弾いていたため、独身寮にいた仲間たちが、私のファンと、
私の敵に分割してしまうという現象があったためでしたが、本店人事部副部長の
吉村さんと、社長の牧野さんが、私の作曲作品のファンだったことから、自然に全店で
評判になっていたうえ、J.S.バッハ、モーツァルト、ショパン等が生きた時代には点滴がなかったので、
珍しがられて、社内報に大々的に取り上げられてしまいました。
私は、ただ、毎日、いろんな色の抗生物質の点滴を打たれたので、自然に出来た作品でした。
終結の、全く、意味のない不協和音は、点滴の針を抜かれる時の痛みを象徴している、
極めてリアリスティックな作品です(笑)。
当時、私は、一日3曲主義で、ピアノ曲を毎日3曲書いていました。
当然、ピアノがなくても、頭の中で絶対音を響かせて書いていました。
別段驚くことでもなく、普通のことです。
25歳になっても、ピアノがないと作曲出来ないような人は、
残念ながら、素人さんですね(笑)。
岡田克彦作曲;ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園」OP.111より、
第10番;『吹上の朝』
14番『梅林橋の梅』
16番『晩鐘』
17番『家路』
〔ピアノ;岡田克彦 語り;西谷智英美〕
※ 私の作曲した、
ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園」Op.111(全18曲)から、4曲
幼い頃からの栗林公園の思い出と、
2006年9月19日に亡くなった、
私の母・岡田直子、との思い出は不可分です。
特に、この、4曲は、母の晩年の思い出ですので、
この組曲の中心になります。
ソプラノの西谷智英美さんの語りつきで、
2010年2月7日(日)に、東京からいらっしゃった
親友のクラシック音楽事務所「アミュフィ」社長のプロモートで、
高松の「studio SUMUS」でCD収録したときの
リハーサル動画です。
曲目解説と、試聴
K.OKADA・写真館
1979年3月に早稲田大学政経学部経済学科卒業、1979年〜1994年、東京での住友信託銀行勤務の傍ら、
日本アマチュア演奏家協会〔APA・エイパ〕理事として、東京、大阪での、作曲、自作室内楽曲演奏、
カザルスホールオーディション獲得、外務省チャリティコンサート、等、いろいろ活動しました。
1994年高松の母の介護のためにUターンし、2006年に母が他界し、告別式、
川崎のお墓への納骨、京都西本願寺への分骨から一周忌までの間を除いて、
母の介護の傍ら、岡山、倉敷、高松での、作曲、自作室内楽、合唱曲発表、
ポップスや朗読とのコラボ演奏や、ピアノソロ演奏、CD収録等、活動しています。
この写真館は、この中で、出会った、演奏、コラボ仲間、オーディエンスやファンの皆様との写真集です。
性別、年齢、職業、肩書き、イデオロギー、国籍、マジョリティーやマイノリティー等、
全て突破して、"heart to heart" で、友人やファンが出来る、作曲を中心にした、
私の、『人生って、嬉しいものですね!』
「K.OKADAワールド」へようこそ!
「K.OKADAワールド」は、四国・高松在住の、
私、岡田克彦の、ライフワークの、
作曲・アレンジ・ピアノ演奏を
テーマにしたホームページです。
私は、尊敬するアーティストの一人、
チャーリー・チャップリンの言う、次の言葉に基づいて、
ライフワークの作曲をやってゆきたいと思っています。
「人生に必要なものは、勇気と想像力と
ほんの少しのお金だ!」
・・・・・チャーリー・チャップリン・・・・・
香川県地域活性化プロジェクト顧問
元.日本アマチュア演奏家協会(APA・エイパ)理事
ラヴィーヌ楽派(フランス近代室内楽の会)代表・ラヴィーヌ将軍
ピアノと遊ぶ会会長
1991年・ピアノと遊ぶ会・外務省/ユニセフ後援チャリティコンサート
〜 世界の子供達のために 〜 総合プロデューサー
(作曲家、兼、ピアニスト)岡田克彦
この度、「記憶の底の栗林公園 OP.111」などの、私の作曲作品自作自演シリーズのCDと楽譜が、2010年5月24日に、東京、大阪と高松で同時発売開始されました。
CDアルバムは、20曲入り(所要時間・約1時間)で、1050円〔ぶっかけうどん3杯分くらい(笑)〕、と、格安です。
今回の、私の自作自演集アルバムは、香川県庁の全面的なバックアップをいただき、香川県を全国に音楽でPRする内容にし、下記3曲を収録しましたので、
アルバムの中心は、香川県立公園の「栗林公園」をモティーフに作曲した、ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園」 OP.111(全18曲)です。
なぜなら、ご高承のように、ミシュランの三ッ星公園の認定を受けている公園は、日本国内でただ一つ、香川県高松市の「栗林公園」(りつりんこうえん)だからです。
讃岐うどんも、素晴らしく美味しく安くいただけますけど、ミシュランの三ッ星指定を受けるには100年以上の期間が必要だと思っています(笑)。
岡田克彦作曲;ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園」 OP.111(全18曲)
〔ピアノ;岡田克彦 西谷智英美の語りつき〕
岡田克彦作詞作曲;ソプラノとピアノのための「同行二人」 OP.114
〔ソプラノ・語り;西谷智英美 ピアノ;岡田克彦〕
せとちとせ作詞作曲、岡田克彦編曲;さぬきブギウギ
〔ボーカル;せとちとせ ピアノ;岡田克彦〕
このピアノ組曲「記憶の底の栗林公園 OP.111」がひらめいた時のことなど、
作曲の背景については、下記をクリックして、ご覧下さい。
また、このピアノ組曲については、下記をクリックして、試聴したり、この18曲からなる、第14番の、「梅林橋の梅」に関する、関連エッセイ、
この新作ピアノ組曲を初演した、2007年10月14日の、香川県庁主催の「栗林公園庭園コンサート」の内容も、クリックしてご覧いただけます。
一方、1994年に、母の介護のために高松にUターンした、アーティストとしての作曲家、しかも、弦楽器との室内楽曲を作曲することが一番得意だった私にとって一番問題だったことは、
高松市周辺に、室内楽を共演出来る、優れた弦楽器奏者がいなかったことでした。
しかし、
2000年9月13日に岡山の石井岡山県知事に招聘されて作曲出演した、
岡山後楽園築庭300年祭
で、ピアノソロと、江守徹さん、平野啓子さんと共演し、朗読文面に合わせたピアノ曲を作曲したことを契機に、
日本語の持つ美しさと、朗読も音楽と同様の時間芸術として全く同じ次元の芸術だということに気づいたことから、朗読とのコラボと歌曲を混ぜた新境地の作品を作曲すること
が出来るようになったことが、作曲家としては、とても、大きかったように感じています。
BGMを止めて、下記写真をクリックして、その時の、平野啓子さんの朗読と私のインプロヴィジョンピアノを試聴いただけます。
また、朗読文面もあわせてご覧いただけます。
さらに、旧知の、JA香川県組織広報室長の依頼で、2010年1月17日開催の、朗読ミュージカルの中での児童二部合唱曲の作曲と、子供達の文章朗読とのコラボの委嘱をいただいたことから、
合唱曲等も、作曲しました。
自分の力だけで、全て出来たことは、私にとっては、最高にハッピーなことでした。
というのも、私の父・岡田寛は、クラシック音楽文化水準の低い四国でしか通用しない、偽者音楽評論家だったからで、作曲家と音楽評論家が、ガチンコ勝負したら、
絶対に、作曲家が勝利することが、21世紀においても立証出来たからです。
JA香川県組織広報室長の依頼で私が作曲し、2010年1月17日に初演した合唱曲と、子供達の文章朗読とのコラボ、私のプロフィール、私の53歳までの全作曲作品リスト(800曲程度の極めて寡作ですが、)、
そのほんの一部等の自作自演動画、自作自演音楽は、下記をクリックして、入室、ご覧、試聴いただけます。
「音楽はうその中でももっとも美しいうそです。」
・・・・・クロード・ドビュッシー・・・・・
「人生とは孤独であることだ。」
・・・・・ヘルマン・ヘッセ・・・・・
「女の批評って二つきりしかないじゃないか。
『まあ、すてき』と『あなたってバカね』の二つだけだ。」
・・・・・三島由紀夫・・・・・
「多くの愚者を友とするより、
一人の知者を友とするべきである。」
・・・・・デモクリトス・・・・・
「幸福は身体にとってはためになる。
だが、精神の力を発達させるのは悲しみだ。」
・・・・・マルセル・プルースト・・・・・
「防御と軽蔑は一種の関与です。」
・・・・・ライナー・マリア・リルケ・・・・・
「自分自身を見いだそうとするのなら、
内面へおりてゆく必要はないのだ。
自分自身は外部に見いだすことができる、外部に。
ぼくらの魂は、実体をもたない虹に似て、
とめがたく崩れゆく存在の絶壁のうえにかかっているのだ。
ぼくらの自我をぼくらは所有しているわけではない。
自我は外から吹き寄せてくる。
久しくぼくらを離れていて、そして、かすかな風のそよぎにのって
ぼくらに戻ってくるのだ。じつにそれが――ぼくらの『自我』」
・・・・・フーゴ・フォン・ホーフマンスタール・・・・・
「樹を種うる者は必ずその根を培い、
徳を種うる者は必ずその心を培う。」
・・・・・王陽明・・・・・
「天才とは一生を通して一つのことに集中できるということ」
・・・・・フリードリヒ・グルダ・・・・・
「我々の社会は大幅に異性愛原理主義的である。」
・・・・・ルイジョルジュ・タン・・・・・
「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つ我にあり」
・・・・・ポール・ヴェルレーヌ・・・・・
「美しいもの怜悧なるものは全て正しい。
醜と愚鈍とは、死刑である。」
・・・・・太宰治・・・・・
「どうだ!男って純粋だろう!」
・・・・・江上剛・・・・・
「人間(じんかん)万事塞翁が馬」
・・・・・『淮南子(えなんじ)』より・・・・・
「アイデンティティを固定しようとすることは、
アイデンティティの死を望むことである。」
・・・・・ソヘイブ・ベンシェイク・・・・・
「バッハから背を向けた時代は、その軽薄さと愚かさと、
そして又、堕落した趣味を証明するものである。」
・・・・・フレデリック・フランソワ・ショパン・・・・・
「音楽をするのは手と指と口と肺とで
もってするのであって脳だけではない。
なるほど譜は読めるが楽器は一つも完全に
奏でることが出来ないというようなものは、
ともに音楽を語る資格がない。」
・・・・・ヘルマン・ヘッセ・・・・・
私は、私が、3歳の時から、ピアノのレッスンを受けられ、作曲も出来るような環境を築くことに心を砕いてくれた、亡き母・岡田直子、には深く感謝しています。
それだけに、1994年に、母が突然肝硬変で倒れた時、早稲田大学政経学部を卒業して、東京で就職した住友信託銀行で15年間働いていた私は、母の介護は、
自分がやらないと絶対に後悔すると思い、転職し、四国・高松にUターンしました。
しかし、母は、2006年9月19日に脳幹部脳内出血のため、香川県立中央病院脳外科集中治療室で、眠るように逝去しました。
高松の実家で、母に私が付き添って暮らせた期間はわずか12年でした。
が、この12年間のことを私は一生忘れずに、寂しくても、後悔せずに、生きて行く事が出来るようになりました。
ピアノに向かって、母が好きだったショパンの幻想即興曲、等、を演奏するたびに感じること・・・それは、いつも、母が、私の指が押さえるピアノの鍵盤の下にいる、
ということです。
下記写真は、在りし日の、江戸千家不白流の茶道が趣味だった母と私の写真です。
順に、高松市公渕森林公園でのお花見、栗林公園の日暮亭でお茶をいただいた時、香川県民ホールで開催された、オペラ「カルメン」を見に行った時、玉藻公園で開催されたお茶会に行った時、
東京六本木サントリーホールのあるアークヒルズで撮ったもの、坂出市の瀬戸大橋公園のゴンドラに一緒に乗った時、です。
亡き母のことを生涯、忘れずに、私は穏やかに、しかし、感受性豊かに生きております。
いつか私自身も母のいる所へゆくまで・・・・・。
下記の五色台からの瀬戸内海の美しい眺めの写真をクリックして、
全てのページに分岐する総合入口へご入室いただけます。