やきそばかおるの1000ネタ大行進

1000ネタ大行進★芸能人の苦労大全集


「1000ネタ大行進」
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清水ミチコ

・福岡RKB毎日放送のラジオ番組の構成作家をしていた。
・渋谷「ジャンジャン」でライブをしていたところを永六輔さんに声をかけられる。

みうらじゅん

・20歳の時、予備校でデッサンをしていた時に4つ年上の人に知り合う。
・酒を飲みに行くようになり、三鷹の下宿に連れ込み、そのままベッドインして童貞を捨てた。

加藤浩次

・同棲していた女に渡していた家賃代を持っていかれた。
・「欽ドン!」の「萩本博士の研究レポート発表会」にハガキを出していた。

草野マサムネ

・20代の時は、売れないのは自分の声のせいではないかと思っていた。
・26歳の時、マンスリーライブを毎月敢行。緊張のあまり吐き気と眠気に襲われる毎日を送る。
・94年、独りよがりにならないサウンドを身に付けようと、「空の飛び方」をリリースしたところ、ラジオでかかる回数が増えた。
・デビュー5年後、11枚目のシングル「ロビンソン」で160万枚の大ヒット。

馳星周

・22歳で会社に入って、2ヶ月でやめようと思っていたが、3年間働かないと退職金がないと言われる。
・会社ではポルノ文庫の出版の仕事をしていた。
・何を書いてもワリに合わなかったが、30歳の時に1年がかりで書いた「不夜城」で1億円が入ってきた。

長渕剛

・死にたいと思った時に宇宙の根本法則を書いた「ダイアネティックス」という本に出会い、「宇宙根本の原則は『生存せよ』なのである」ということを知る。世の中の全てのものは生存にむかって動いている。
・30歳の時に精神的に憔悴。歌をやめたいと思って鹿児島に向かう。桜島を見ていてもう一度やり直そうと思った。

ドラえもん

・当初は3頭身だった。

九重親方

・入幕するも怪我が多く十両落ち。
・肉体改造と相撲の型を変え、それを完成に近づけ、再入幕すると一気に飛躍。

新庄剛志

・メジャー時代は記者会見を開く度に何とコメントしたら喜んでもらえるか考えていたので辛かった。
・試合に出場できなかった日もカメラを向けられる度に楽しくしているように見せようと必死だった。

篠山紀信

・日大芸術学部3年在学中に広告製作会社に入社。
・面接の時から強気で新人は5年間助手をすることになっていたが「助手をやらされるくらいなら入りません」と言っていた。

カルロスゴーン

・20代で「ミシュラン」の工場長、30代前半でブラジルの子会社の責任者となるが、年配者から若造視されて苦い経験をする。
・ある上司に「私はキミを信頼する」と言われたことがきっかけで自信をもつ。

あだち充(「タッチ」原作者)

・10回連載しては打ち切りになる時代を続け、「サンデー」からは「あだちは、いらない」と言われる。
・ついに少女誌で描くことになる。
ここで描いた「陽あたり良好」がヒットのカギをつかみ「ナイン」で少年誌に復帰した。

三宅裕司

・「久米宏のテレビスクランブル」のレポーターオーディションに合格したが、レポートでは手しか映してもらえなかった。

奥田民生

・「ユニコーン」時代は他のバンドと共演する度に、ウチのバンドと比べてどこが劣っていて、どこが優れているのかをひたすら研究していた。

大江健三郎

・23歳の時に「飼育」で芥川賞を受賞。
・突然の人気に適応できず、睡眠薬を常用。強度の睡眠薬中毒にかかる。

糸井重里

・大学を1年でやめて久保田宣伝研究所(今の宣伝会議)でコピーを勉強。
・会社の仕事がイヤになって個人的に賞に応募したときに、いきなり銀賞をとる。
・会社が潰れたのを機に、24歳でフリーのコピーライターになる。

佐野史郎

・初舞台は20歳の時だったが自分に飽きてしまい、うまくいかないのを周りの人のせいにするようになり、5年後に唐十郎の「状況劇場」に入る。
・ここで徹底的にしごかれて、自分がバカだったことに気づく。

水野晴郎

・終戦後、家族とともに2年間、満州をさまよったあとで帰国。
・4人の弟妹を食わせるためにバイトをしたり、映画の文章を雑誌に書いて食いつないでいた。

高橋がなり(ソフトオンデマンド社長)

・母親に1000万円の借金をしていた。
 「あの借金のことはお兄ちゃんにもお姉ちゃんにも内緒にしているから
 返さなくていいんだよ」
 と言った翌日に亡くなった。
・「全裸フィギア」という作品を出して公然わいせつ罪で逮捕されたことがある。

宇梶剛士

・19歳で錦野旦の事務所の手伝い、おつかい先で菅原文太に声をかけられる。
・21歳で三輪明宏に出会い、舞台への誘いを受け、バイトをしながらの生活。
・役者としての収入だけで生活が成り立つようになったのは33歳の時だった。

古舘伊知郎

・テレビ朝日は300人中5人という狭き門だった。
・試験は42点(ボーダーは40点)で、ギリギリの合格だった。

イッセー尾形

・建設現場でアルバイトをしていたことがある。
・「テレビマンユニオン」を受けたことがある。
・海外公演の時に現地の人に自分のチケットを売りつけられたことがある。
・インタビューが怖くて、トイレにこもって泣いたことがある。

松村邦洋

・高田文夫さんの誕生パーティに2.000円相当のヒヨコ型壁掛けライトをプレゼントとして持っていき「こんな子供だましのプレゼント持ってくんな」と叱られた。
・高校時代に暴走族に絡まれ彼らの前でモノマネをさせられたことがある。真剣に見ている奴もいてしまいには「こんどは5分以内にネタまとめてこい」とダメだしまでされた。
・高校生の時、山口放送ラジオ「治美のわっしょい!日曜日」のものまねコーナーの常連に、RCCラジオ「柏村武昭のサテライトNo1」では番組レギュラーになる。

武蔵

・25歳で肉体改造。仕事として一日7食を食べていた。
・朝10時にジムに行って、夜8時まで延々 重いものを持ち上げていた。

松本人志

・高校卒業後は印刷工場への就職が決まっていたが、お笑いをやりたい一心でNSCに入学。

オセロ

・初任給は2万円。

吉川晃司

・「広島に凄いヤツがいる」という手紙を自分で書いて渡辺プロダクションに送ったことがある。
・渡辺氏とはよくケンカをしたが、今でも墓参りを欠かせない。

久米宏

・TBS入社1年目は天気予報と時報案内ばかりの日々だった。

中森明菜

・「スター誕生」の本選で2回落ちている
・高校1年の秋に中退して3度目に受けた「スター誕生」で最優秀賞に輝いてデビューした。

中澤裕子

・セールスが落ちてきた頃、仕事が終わるごとにマネージャーに「見ていてどうでした?」と聴くのが怖かった。
・モーニング娘。が7人になった頃、メンバーをまとめることができなくて10円ハゲができた。
・後藤真希が入ってきた頃、今のメンバーの色に染めたくないとの理由で「後藤には何も言うな」と言われた。

元ちとせ

・奄美民謡大賞を史上最年少で受賞。
・噂を聞きつけ、元の歌声に惚れこんだレコード会社のスカウトマンが奄美大島までスカウトに来るが断る。
・「25歳まで待つから」と言われる。その後に発売した「ワダツミの木」が大ヒット。

哀川翔

・95年に事務所がらみのトラブルが起こる。心労で心臓が止まり、意識がなくなる。
・多い年には年間に17本の作品に出演。

江川達也

・「BE FREE」が売れれば売れるほど、自分が描きたいものとは違う方向を求められるようになり、絶望を感じる。
・気がつけば、パンチラやかわいい女の子を描くことばかり求められる。
・「まじかる☆タルルートくん」を発売したのは前の読者を突き離すため。

上田晋也

・20代はガツガツしていたが、それをやめてから売れ始めた。

高田純次

・宝石商を辞めて劇団に入ったが5年間は全く食えなくて、毎日アルバイトをしていた。

五木ひろし

・レコードを4枚発売したが全く売れず、19歳の時に家賃が払えなくて福井に帰った。
・母に20万円を借りて再び上京。

野田社長(元イエローキャブ)

・俳優を目指して広島から上京。
・下落合の劇団の稽古場に通いながら、埼玉の鋳物工場、新聞の配送、モダンジャズの喫茶店で働いていた。
・34歳の時に遊び仲間3人でイエローキャブを立ち上げた。

吉田秀彦

・バルセロナ五輪では金メダルをとるが、アトランタ五輪で初戦一本舞負けを喫してしまう。
・色々言われるのが辛くて日本を離れることを決心。貯めていたお金をはたいてハワイやラスベガスをブラブラする。
・20代後半は「這い上がってやる」ともがく日々。

だいたひかる

・お母さんはジムに行っているのに10キロ太った。
・美容師の仕事をしていたが、事故で親指が腫れてハサミが持てなくなったのを転機に美容師を引退。
 刺激を求めて芸人の道へ。

安めぐみ

・15の時にグラビアの仕事を開始。
・19の時に「トゥナイト」の取材でAVの撮影現場のレポートを担当をすることになり、カルチャーショックを受ける。
・番組で使う資料のビデオを見るために歌舞伎町の個室ビデオに一人で入ったことがある。

リリー・フランキー

・上京後、アパートに住んでいた時、知らないおじさんが玄関の前でウンコをしていて怖かった。
・最大で8社から借金をしていた。

岡村隆史

・よく父親が部屋の掃除をしに来るが、冷蔵庫を勝手に触るので困っている。
・銀座七丁目劇場で「銀BURA天国」を毎日放送していた頃、ホテルに3ヶ月間ほど缶詰にされ、気がおかしくなってしまい、ホテルの廊下でウンコをした。
・泥棒に2回も入られたことがあるが、1回はマスコミには言っていない。

山口智充

・よく「アンタ実はホモでしょ?」と言われる。
・売れない頃はぬいぐるみショーのバイトをしていた。

山田五郎

・大阪万博に行き過ぎて中学受験に失敗。

八代亜紀

・21歳の時、ある音楽マネージャーに「どんな才能のある人でも、売り出すにはお金がいる」と持ちかけられ、クラブや前座でためたお金を渡したが持ち逃げされた。
・デビュー前に五木ひろしさんとある事務所に所属することになったが、デビュー直前に倒産した。

手塚治虫

・400ページの漫画でも1000ページ分描いていた。
・どんなに忙しくても漫画家志望で地方から尋ねてきた子とは会って話をしていた。

北野武

・「ツービート」を結成した頃は食えなくてタクシーの運転手をしていた。

田中直樹(ココリコ)

・食えない時代は毎日食パンと水で過ごしていた。

浜崎あゆみ

・グラビアアイドル時代、撮影でたくさんのアイドルが並んでいるのを見て「顔に『バカ』って書いてあるような女ばかりで、早く辞めたい」と思う。

さまぁ〜ず

・レギュラーがなくてラーメン番組のレポーターをしていた頃は「もうダメだ」と思っていた。

はしのえみ

・売れない頃、3人でアイドルユニット「ブカブカ」を組まされた。
・その後、鹿児島に帰っていたところ「ブランチ」の仕事が舞い込んできた。

B&B

・漫才ブームが終わった翌年、レギュラーが全滅した。
・吉本興業を一度辞めたあと、数年後に復帰。
 もう一度イチから出直すという意味を込めて全都道府県をノーギャラでまわった。

関根勤・小堺一機

・新人の頃、おすぎとピーコに「アンタたちキタナイから、二度と私たちの前に現われないで!」と言われたことがある。

笑福亭鶴瓶

・数年前にタモリさんに「もう『いいとも』を降りたい」と相談したことがある。
 タモリさんからは「なんでもやっとけばなんとかなるんじゃないの?」と言われて肩の荷が下りた。

タモリ

・いいともがスタートした頃、タモリさんは「3ヶ月で終わるんじゃないか?」と思っていた。
 しかし、当時の横沢プロデューサーが「コレはイケますね」という意外な反応を示す。
 そこで「面白いことを言わなきゃ」という発想をやめて「普通に雑談しよう」と決意したとたんに人気が上がっていった。

高山善廣

・就職して1年間はサラリーマンをしていた。
・25歳でリングデビューして年下の先輩に理不尽なことを言われる毎日を送る。
・後から入ってきた桜庭和志に勝てなくて、毎日後輩を相手に朝から練習をしていた。

井筒監督

・高1の時、両親に学校を中退して映画の道に行くと言ったところ、父親は包丁を持ち出して大反対した。
・高校を卒業してバイトで貯めたお金で22歳の時にピンク映画を撮影する。

明石家さんま

・24歳の時にレギュラー14本をもっていたが、夜になると体がしびれてきていた。

本宮ひろ志(漫画家)

・34歳で何もかもがイヤになって引退。
・45歳の時にヤクザの大親分に『理屈の大切さ』を教わり、もう一度真剣にお金を稼ぐことを考えるようになる。



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