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日本再生の可能性 始めに 平成13年10月、わが国の失業率は5%を超過、実数にしてすでに約360万人の失業者が生じている。これはざっと、10戸に1戸の失業家庭をかかえているということであり、つい先ごろまで経済大国を自認していたわが国においては、まさに異常事態としか言いようのない状況に立ち至っている。さすがにこの状況を見て、自民党内にも景気対策を求める声があがっているようであるが、従来のような赤字財政路線では小泉構造改革と相入れるはずもなく、首相は、なお一層企業の自然淘汰を進めることがやがて景気を回復するための道であるという構えを崩していない。 この小論の目的は、この構造改革のはてに来るのは景気回復と健全な産業・経済などではなく、日本経済の自滅につながるであろうことを論じ、早急な政策転換を求めようとするものである。 少し違うといえるのは、それを赤字国債ではなく「海外資本」を借りてというところだが、それでは産業・経済の空洞化をさらに深刻にするという余計に悪い結果が目に見えている。 当の石原氏自身、本当は現在の構造改革に自信がないのだろう、結論は、「この大きな転換期に日本は自らの可能性を信じて進んだらいい」というような精神主義、しかもそれができないのはリスクを避けて郵便貯金に落ち着いてしまう日本人の性癖に原因があると、責任を国民に転嫁して、論を終わっている。 問題は、ゼロ金利状態に象徴されるような、バブルと、その後の反動に対する政府の致命的な政策ミスによって、ケインズ理論を軸とする従来の経済学が実際上機能しなくなったことにある。この不景気において、金利を下げるという最も初歩的な対策すら、現在の政府は行ない得ないのである。 こうして合理的な根拠に基づいた本来の経済学が、ここしばらく沈黙してしまった。そういう状況の中で、よく考えれば実ははなはだ怪しげな「新自由主義」という復古調「改革」路線が、不況に苦しむ国民の中に、何となく浸透してしまったようである。 しかしながら、一方で、ようやくアカデミックな根拠を持った経済学が、新しい事態を踏まえた理論を打ち出しつつあることにも、われわれはもっと注目すべきである。たとえば、慶応大学の金子勝氏や、立教大学の池上岳彦氏の近年の活動は、古典的なケインズ理論を超えて、21世紀的な展望を開こうとするものである。 *平成14年末、インターネットで「社会のレンズ」という素敵なHPを見つけました。筆者は某省に勤める官僚だということですが、政治的な風潮を冷静に見据えて、大変示唆に富む提言をなさっています。これもまた同じ流れの中に捕らえてよいと思います。 すなわち、近年の行財政改革(構造改革)は、口で言うところの「経済効率」「財政再建」とは裏腹に、まったく経済学的な構想を欠いた乱暴な理論、あるいは新自由主義のような漠然とした強気の弁論で押し進められており、そのためにわが国の経済が混迷を極めているのであって、これは本来の日本経済の実力からすれば、陥らずにすんだはずのものである。そして、より重大なことは、今後もこのような乱暴な政策を続けていけば、やがては経済の再生どころか、ますます連鎖的に企業の倒産や失業者が増加し、遠からず日本経済全体が再起不能に立ち至る危険性を持っている、ということである。 だれもが気付いていることだが、今の改革論者は、「変えなくてはならない時代なのだ」という理由だけで、そのさきのヴィジョンを示さない。それは、先にあげた石原東京都知事の例にも明らかなように、本当にヴィジョンがないからなのである。彼らが押しなべて「いつかはよくなる」といいながら当面の「弱者切り捨て」に走るのは、目先の自分たちの権益を確保したいという本能的な打算に起因するものと見ざるをえない。 18世紀のイギリスにおいてアダム=スミス流の自由(競争)主義経済学がそれなりに受け入れられたのは、自国優位の植民地獲得競争を前提とした時代であったから、という歴史的事実を見落としてはならない。それでも国内では、自由競争の結果、貧富の差が増大することによって、かえって経済が停滞してしまう結果になったのである。なぜなら、淘汰された企業や失業者は、税収を減らし国家予算を圧迫する、国民の購買力が低下して企業の活動を縮小させる、ますます倒産・失業が増える、という悪循環がその先に待ち受けているからである。 今の日本の経済はおそらくすでにこの状況に立ち至っているが、小泉政権はさらにこの自然淘汰を加速させようという「構造改革」に邁進しようとしている。国民のことなどどうでもよい、一部の実力者・資本家・エリート官僚が国際競争力をつけて、日の丸を掲げて生き延びればよい、という本音がそこに見え隠れしているのだが、厄介なことに、彼等はたてまえ上は「財政赤字をどう解消するか」という、一見もっともらしい大義名分をもって「小さな政府」を自称し、国民に「痛み」を求めている。 問題は、そこである。なぜ「赤字国債」を乱発して今のような状況に立ち至ったのかという原因が十分に追及されていない、したがって、どうすればよいのかの対策も実は検討されていない。彼等は、出口がどこにあるかというあたりまえの問題意識も忘れて、もう密室の中での富の奪いあいを始めているのである。 新自由主義はマスコミを利用して、さも新しい思想を語っているかのごとく装っているが、彼等のやろうとしていることは、本来なすべき経済改革をさけて、責任を転嫁しているだけである。責任転嫁は、どうでもいいことかもしれないが、しかし、本来なすべき改革を今、しないということは、わが国の将来にとってたいへんな問題を残す。 新自由主義は、「自助・自立」「地方分権」を唱えて医療・年金などの財政上の負担を切り捨ててきているが、これら国民への行政サービスへの支出は、国家財政上の支出項目で言えば「最終消費支出」「経常移転支出(年金)」と呼ばれる分野で、「小さな政府」とは、こうした行政サービスを地方自治体や民間企業・ボランティアに押し付け、現実的には、つまり切り捨てようという政策にほかならない。 しかし、他国との比較で言えば、1997年の時点で、わが国の「最終消費支出」は対GNP比9.7%、先進国中最低であり、しかもイギリス・ドイツなど軒並み20%前後なのに比べて極端に少ない。「経常移転支出」も、同じく19.0%で、近年これを切り下げたアメリカを除く先進諸国がいずれも20%台から30%台であるのに比べてやはり目立って少ない。 つまり、わが国はもともと「小さな政府」なのであって、本来これはもう切り捨てようのない分野だったにもかかわらず、小泉政権は、それをさらに削減してしまったのである。ところが、他の国(大きな政府?)が財政赤字に苦しんでいるかといえば、そうではない。むしろ黒字である。これが事実なのである。 一方、問題となっている「誰も通らない橋」や「環境破壊のための水門」のような大型公共投資(ハコもの)は、「純資本支出」として計上されるが、これはわが国の6.3%という数字が突出して大きく、他の先進国では大体2%前後に過ぎない。 ケインズ以来、こうした国家的な大規模公共投資が経済発展の決め手のように信じられ、実際わが国もこうした積極的な経済政策によって高度経済成長を達成し、現在に至っているわけだが、1980年代以降、こうした古典的なケインズ解釈による経済政策は、むしろその投資効果に比べて物価上昇と累積赤字の増大というマイナス面をより顕著に示すようになってきた。 わが国において、この経済政策の破綻の原因を究明する努力がまったくなされていないことは、驚くべきことである。それに対し、ヨーロッパ先進国は、ケインズ理論の限界をあたりまえのこととして受け入れ、早々に修正すべきところを修正したと見ざるを得ない。 つまり、ケインズが脚光を浴びることとなった1930年代のニューディール政策の時代には、まだまだ多くの整備すべき社会資本(ダム・道路・鉄道・堤防・港湾その他)があり、「何に投資するか」はさほど慎重に議論しなくとも、政府の公共投資が「無駄遣い」になる可能性は低かった。だからこそ何でもいいから大規模な公共事業を起こせば経済発展につながる(風が吹けば桶屋がもうかる)という、今から思えばいささか乱暴な理論が現実的有効性をもちえたのではないか。 しかし、わが国でいえば1980年代半ば以降、大体必要な社会資本は整った。そうなると、不必要なものにまで景気刺激のための公共投資を行う危険性が出てくるわけだが、もし不必要なものに投資した場合、メリット以上のデメリットが表面化してくるのは当然の道理であったのではないだろうか。にもかかわらず、わが国はなおも拡大再生産のための大型公共投資を続けた。その結果、経済発展以上のペースで財政赤字が累積していった。これに比べて、ヨーロッパの先進国は、早々に大型公共事業を縮小して赤字を免れている。 要するに、古典的なケインズ理論による大型公共投資は、21世紀のわが国においてはマイナスでしかない、ということである。そして、このことは、近年の「構造改革」論にも当然関わってくる。 しかし、小泉構造改革は、教育・医療・年金、あるいは中小企業の保護や労働者の勤労権の保障、庶民に直結する地方公共団体の業務といった行政サービス部門を、それ以上の力を込めて早々に切り捨てている。これでは本音がどこにあるやらわからない。もし好意的に見たとしても、つまるところ、財政難だからともかく弱いところから切り捨てようというだけのことで、これはいささか乱暴な議論だと言わざるを得ない。 ケインズの理論がそのままでは有効ではなくなったからといって、彼が指摘した事実、すなわち、「経済(景気)の安定のためには、政府による計画的な公共投資が必要である、なぜなら不景気のときには個人消費が冷え込んで、これに対して営利企業が投資を控えるのはあたりまえ(民間からの景気刺激はありえない)」という現実が解消されたわけではない。 先ほどの石原氏の嘆き(日本人は安全な郵便貯金に落ち着いてしまう)はまったく的外れで、今もケインズのご指摘のとおり、そんなことはあたりまえであるというだけのことである。国民の経済活動を積極化しようと思うのならば、新聞紙上で嘆いているのではなく、そのための具体的方策を実行しなければならない。 つまり、今の日本には公共投資、しかもかなり大規模な公共投資が必要なのである。 小泉内閣だけではなく、いままでの構造改革論者が見落としているのはこの点であり、だからこそヴィジョンを立てることができないのである。しかし、このことを逆にいえば、現在の日本経済の窮状は有効な公共投資をしてこなかったことに原因があるのであって、決して宿命的なものではない、したがって、有効な公共投資さえできれば、わが国の経済は本来の姿に立ち直ることは可能である。 そのためのキーワードは『有効な公共投資』ということになるはずである。 累積赤字を前にして、無駄を切り捨てることのほうに目が向きがちであるのは致し方ないとしても、それよりも、赤字を解消するための税収増を図るのが、賢明というものであろう。それが『有効な公共投資』の成否如何にかかっている。 もちろん、言うまでもなく従来型の大型公共投資が「有効でない」ことは、すでに明白である。 本当の答えは、すでに明らかであろう。現代の先進国においては、「最終消費支出」「経常移転支出」部門への投資が、国民の福祉と所得を安定させ、その結果、健全で安定した税収入を確保するための、もっともわかりやすく、有効な「公共投資」なのである。 小泉内閣はこれを無駄な支出と思っているようであるが、とんでもない。年金・医療制度を充実させることは、国民が安心して物を買って暮らせる状況を作り、その安定した需要と供給のサイクルの上に企業の自立的経営が保障される。そして、失業手当の代わりに所得税・法人税が国家財政をプラスに導く。きわめてあたりまえのことだが、累積赤字の解消は、その先にしか見えてこない。 当然ながら、このような経済政策においては、かつてのような高度経済成長は望めない。が、これは今、国民の望むところではない。重要なことは、安定した経済のサイクルであり、そのための健全な内需の確保である。 また、ここに競争原理は何の価値も持たない。経済競争を正当化するためでしかない自由競争型教育改革もまた、何の意味も持ちえない。むしろ、すべての子どもたちにわが国の憲法が謳うところの最低限の教育を保障することによって、すべての国民が安心して自らの生計を立てられるように教育を改革すべきである。 こうした部門への投資は、いまどれだけの負債をかかえようとも、必ず投資以上の効果が見込める経済政策であり、それはまた、小泉首相が就任当初に語った「米百俵」の唯一正しい解釈でもある。 逆に、誰かがリストラを名目に労働者を削減し、残った者たちに給料カットとただ働き残業によって経費を切り詰め、企業間にそのような競争を持ち込めば、やがてはその見返りは、その企業の営業不振となって返ってくる。企業の社会的責任とは、ただ直接の消費者を神様扱いすることではないのである。 また、このような時、政府が不当な競争を抑止し、必要とあれば思い切った先行投資によって景気を刺激するというのも、国民の税金を預かる者の当然の責任である。 結論から言えば、またもヨーロッパ諸国に学ぶ形になってしまうのだが、謙虚に見れば、かれらはすでに自国の歴史において自由主義経済の限界を体験している。新自由主義で知られるサッチャー政権が改革したあとのイギリスでさえ、わが国のような「小さな政府」は採用していない。 わが国は、明治以来の順調な経済発展のなかで、これまでは自由競争による経済の停滞を体験してこなかった。厳密に言えば、昭和10年代がそうであったのかもしれないが、わが国は満州への侵略によって、問題を回避した。したがって、われわれはいま新自由主義の台頭という政治的現現象に直面するなかで、はじめて真に独立した国としての経済改革を求められているのである。 しかしそれは、現在の小泉政権が言うところの「構造改革」のような「改革の名を語った富の奪い合い」とはまったく違う方向のもの、たとえて言うならば、「情けは人のためならず」という万古不変の社会の真理を実現するものでなくては成りたたないだろう。ましてや、「リストラ」という言葉に「解雇」の意味はなかったはずなのに、いつのまにか「リストラ」に名を借りた違法労働・大量解雇が横行する現状では、企業も本当の意味でのリストラを回避して終わるだろう。 致命的な時代錯誤とは、このことである。 重大な課題としては、早急に公定歩合を健全な水準にもどし、再び臨機応変に経済を安定させる装置としての機能を回復させる必要があるが、公定歩合を引き上げるのはデフレ効果が大きいので、たとえば消費税の廃止というような、思いきった、しかも確実に景気を刺激すると思われる政策と同時に行う必要がある。 ただ、当面は、 1、年金制度・医療制度を現実的なレベルにまで回復すること、 2、国費(公的資金)を投じてでも企業の倒産・失業を食い止め、雇用促進のための長期的政策を断行すること 3、全国的に官民を問わず違法状態が蔓延しているただ働きを強制的に禁じて公正なワークシェアリングを実現する、そのため経営困難に陥るような企業には政府が補助をすること、 などが緊急の施策として必要であろう。 |